【前回の記事を読む】「お金とは?」を式で考えると「A=G=B」が成り立つワケ

労働の変化

さて、工程の細分化や単純化が進むと、女性や子供でもできる作業も増えてきました。

産業革命の頃に起きたことです。女性や子供は立場上も腕力も強くないので文句を言いません(言えません)。特に子供はこき使われました。朝起きてから夜寝るまで働かされ、食事の時間さえ満足に与えられませんでした。当時の平均寿命は二十歳にも満たなかったようです。ひどい話です。

工程が単純化されたことで、機械化も行われました。ますます生産性が向上し、利益もさらに増えます。機械は人と違い、ミスなく休みなく同じことを繰り返し行うことができるため重宝され、企業はどんどん機械化を進めました。

機械化が進むと労働者に必要な能力が変わります。読み書きできる能力が必要になり、機械を修繕できる能力も必要になります。加えて、様々な研究や開発も行うようになりました。素材の研究や加工技術の検討など、高度な知識が必要になってきました。知識労働者の誕生です。

労働者の教育

より多くのお金を効率よく増やすために、分業化や機械化が進み、その結果、労働者に求められる資質は筋力や体力から知識や知能へと変わりました。

そうなってくると、事業主がいちいち労働者を教育するのも大変なので、技能訓練を専門に行う機関ができました。これが後の学校です。

日本の学校は、当初、修身という意味合いが強かったようです。とはいえ、近代以前の日本では職業選択の自由はほとんどなかったので、他国と同じように学校は技能訓練の場という見方もできると思います。つまり、名のある大学だとしても、その成り立ちは高度な技能訓練を行うための機関が前身といえます。

企業から見れば、その卒業生は良質な労働者予備軍でしかありません。実際、最終学歴が名のある大学であれば就職には有利といえます。

ただし、企業に入ってしまえば学歴というブランドはあまり意味を成しません。能力や人格の方が断然、大切になります。時には学歴が足を引っ張ることもあります。

たとえば、○○大学を卒業したんだからできるのは当たり前、□□大学を卒業したのにこんなこともできないのか、などの評価がされることもあります。

実際、学歴は一つの傾向を示すこともあるとは思います。とはいえ結局は、本人次第です。資本主義における労働者は機械の歯車にもたとえられます。皆さんは、どこのブランドの歯車なのかで評価されたくはないですよね。