結婚して三年半経つ頃には、夫婦としても軌道修正の仕方を身につけ始めていた。お互いに相手を頼りにするようにもなっていた。
博史は『早稲田大学紀要』に発表した論文以降、活字にするものすべての校正を私に頼んできた。私は法律に関して素人なので「君がわかってくれるレベルがちょうどいいんだ」というのである。私は「ここがわからない」「この表現は誤解を招くからこう変えたほうがいい」と率直に指摘し、「それでは文意が変わってしまう」という博史と、ときには徹夜で議論した。少しでも良いものにしたい、という共通の目標を持っていた。
こうして、『良心の自由』が上梓された。博史は三十六歳。二十歳で「良心の自由」というテーマに出会ってから、十六年が経っていた。
最終的には個人に倫理的自律の可能性を保障することを通じて秩序を確保しようとする社会においては、その自律の基礎にある良心に対して、国家が過度の干渉を加えることは許されない。(中略)基本的人権としての良心の自由は、自律の基礎にある良心の不可侵を憲法レヴェルで確保しようとする。
博史には、憲法学者としての矜持と勇気があった。すでにある平野を真面目に耕して収穫を得るだけでは、己を許せなかった。学者の道に分け入った以上は、そのテーマにおいては未開の分野を開墾し、先頭に立って汗水流し泥にまみれ、より豊かな収穫を人々にもたらすべきだという信念と覚悟を持っていた。
『良心の自由』の「あとがき」に書いている。
基本的人権の本質は――日本ではこれまで研究蓄積の薄い――「良心の自由」にある。学校制度の問題も、この人権を抜きにしては何も語れないはずだ。(中略)初歩的な法論理を歪曲しても恥じる所のない判例ばかりが蓄積される現実を前に、基本的には裁判所を名宛人とする解釈論を遂行することに無力感さえもが漂う中、私が敢えて憲法解釈論を自らの課題としてきたのも、この思いがあったればこそであった。そして、そうやって人間の自由をなおも追求するその先に、世界が理想を失って彷徨する二〇世紀末の今、人類にとって必要な夢が潜んでいるのではないかと考えている。
これまで誰も成しえなかった憲法上の論考をし、それを世に問う。
博史は野心を持ち、理想に燃えていた。そうでなければ、本を出す意味はどこにある?