【前回の記事を読む】ミモザ、こぶし、スノードロップ…春の兆しを告げる花々と繋がる思い出
第一章 春
カーネーション
♪『酒と泪と男と女』(河島英五)
カーネーションとバラと菊は、三大切り花と言われる。私が買う切り花も、カーネーションが多い。友人のE子さんが三月初旬に南房総旅行のお土産で届けてくれた数種類のカーネーションの花束は、四月半ばまで元気だった。花持ちの良いことに驚く。
カーネーションが母の日の花になったのは、二十世紀初頭のこと。大型スーパー等では、四月から、ラッピングされた鉢植えのカーネーションがずらりと並ぶ。最近では、紫陽花やバラやアザレアも、リボンで結ばれ、籠に入れられて、一緒に陳列されている。
あるアメリカ人女性が、亡き母の命日に、教会で白いカーネーションを信者達に配ったのが母の日の始まりとされる。米国では、母の日に子供から贈り物をする習慣はなく、カーネーションを胸に飾るだけのようだ。麦わら帽子を被った人がマリーゴールドに見えた、と歌ったのは、あいみょんだったが、頭髪が八重咲のカーネーションに見えたことがある。
N君の母親で、髪型はソバージュだった。細かいパーマを全体に弱くかけてウエーブをつけたヘアスタイルが、ソバージュだ。N君は英語教室の生徒だった。初めて教室に来た時は中学生で、父親がバイクに乗せていた。高校生になって、一人でアパート暮らしを始めたのは、父親と激しく衝突したからだ。
ある日、歯科医師の父は、仕事を終えて外食していた。歯痛で苦しむ患者が来院している、とN君が電話で伝えたが、診療時間は過ぎたから断るようにと、父は主張した。その日からN君が父と口を利くことはなかった。教室への送り迎えは、母親が受け持つことになった。月謝を届けてくれる日だけ、母親は教室に入って来た。彼女も歯科医師で、N君と並んで立つと、いわさきちひろの水彩画「母の日」を私に連想させた。
英語教室主催でカラオケ大会をしたことがある。N君は大学生になっていて、河島英五作詞・作曲の『酒と泪と男と女』を歌った。紳士的なN君の繊細な抒情歌は、父親との確執だけでなく、「忘れたいこと」をいくつか包み込んでいるかのようだった。歯科医院を開業しているN君から、メールで質問されることがある。外国人患者へのインプラントの説明の英語はこれで正しいか、とかだ。私は返信する。そして、彼の母親のカーネーションのようなソバージュ・ヘアを思い出す。