事業の誕生……為替差益

現代ではお金を貸したら利子付きで返済してもらうのが常識ですが、西欧諸国では利子を取ることが悪いこととされた時代がありました。宗教的な観点で忌避されたものと思います。

不浄の民とされたユダヤ人だけは利子を取ることが許されていました。『ヴェニスの商人』に出てくる金貸しシャイロックが悪人として描かれているのもこのような時代背景からです。

不浄の民とされたユダヤ人が金貸しで財を成すのですからますますユダヤ人は迫害されることになり、後年、ナチスドイツによるホロコーストに至ったようです。

そのような時代に、利子を取らなくても為替差益で儲けることができることに気づいた人たちがいました。それが、イタリアとイギリスの間の為替差益で財を成したメディチ家の人たちです。

当時の為替レートは現代と違い固定されていましたが、現代と同様に売買のレートは異なりました。

現代風にえば、日本円からUSドルへ交換すると、一〇〇〇円が八・三ドル(一ドル、百二十円)になり、逆にUSドルから日本円に交換すると、八・三ドルが一〇三七・五円(一ドル、百二十五円)になったという状況です。

つまり交換しただけで三十七・五円増えます。錬金術です。元手を一千万円にすると三十七万五千円も増えます。

いってこいの交換をしただけで、です。

メディチ家の人たちは、外国の方へ利子無しでお金を貸すという取引をたくさん行うことで、儲けを増やしていったのです。

現在は売買の差額はわずかなものですし、交換するたびに手数料を取られますので、このような取引はお勧めしません。

似たような話をもう一つ。江戸時代末期、アメリカ代表であったタウンゼント・ハリスは、日米修好通商条約の締結にあたり、金銀交換比率を日本にとって不利益な比率にしました。そして個人的にも財を成し、それを見た他国もハイエナのように群がり始めました。

当時、西欧諸国では金と銀の交換レートは一対十五、日本国内では一対五でした。これをそのまま双方の通貨にも適用したのです。銀貨十五枚で金貨一枚だったレートが、日本に持っていけば銀貨五枚で金貨一枚、三倍です。

あこぎですね。日本側はこの不平等な比率を改変することに以後多大な労力を要することになりました。

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