学制公布とともに導入された中学校での英語教育
日本の近代的学校制度は、1872(明治5)年の学制公布によりスタートしました。この時、今の中学3年生から大学2年生の年代が通う男子のみの中学校(下等中学・上等中学、計6年制)で、中学生への最初の英語教育が始まりました。ただし、学校自体が誕生したばかりだった当時は、1週間の総授業時間数が25~30時間と定められているだけで、学科ごとの基準時間数までは決められていませんでした。
「英語は週6時間」と具体的に示されたのは、1881(明治14)年に布達された「中学校教則大綱」でのことです。その後、1886(明治19)年に学校令が公布されると、それまで計6年制だった下等中学・上等中学は5年制の尋常中学校に変わり、この時から就学年齢が2年早まって、今と同じ12歳から中学校に入学するようになりました。以来、中学生年代に対する英語教育は、終戦の頃に一時週4時間に減ったものの、現在までほとんど変わることなく週6時間という授業数でおこなわれてきました。
小学校での英語教育の始まり
一方、小学生年代への英語教育については、学校令と時を同じくして公布された小学校令(第1次)で設置された高等小学校で初めて制度化されました。高等小学校は、4年制の義務教育の尋常小学校(入学時6歳、修了時10歳)を修了した後の進学先として置かれたもので、就学年齢は、今の小学5年生と同じ10歳です。
「教えても良い」という随意科目での導入でしたが、当時の文部省は、小学校令を公布する2年前にはすでに、全国の高等小学校に英語科の設置を認可するとし、併せて、「英語の初歩を加うる時は読方、会話、習字、作文等を授くべし」(『日本の英語教育200年』伊村元道著/大修館書店2003年刊/234頁)と、具体的な教育内容を通達しており、教科書もアメリカから輸入していました。
採用されたのは、『Barnes’ New National Readers』という教本で、これが以後、1908(明治41)年に文部省が初めて国定英語教科書を完成させるまで、高等小学校で英語の教科書として使用されることになりましたが、東京高等師範学校の附属中学校などでは、この教科書を明治20年代の終わり頃(1895~1896年)から使用し始めて、大正4年(1915年)まで20年近くも使っていたということです。