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台風よこいと祈る毎日…キャシーはついにやってきた

話は飛ぶが、私と同じ学寮に、後にニューヨークの市長を務めたロックフェラー5世が入寮し、半年ほど一緒に生活したことがあった。彼はアメリカの大富豪の本家の息子でJuniorAbroad(大学3年を他大学で過ごす制度)を利用してICUに来ていた。

ある朝、授業に出かけるとき彼に会い「Hi,J(ジェイ)nice morning」と一緒に行こうとすると「今日は皇居へ行ってくるよ」と言うので観光かと思っていたら「皇太子のお招きで昼飯さ」とさりげなく答えた。

「アメリカの皇太子」と言われるという話は本当だなとこの時思った。そんな彼でも「J」と名前の1字をとって呼ぶように彼からの申し出で、友人扱いで付き合う習慣を体験ができたのもICUのおかげであった。

今では大学の後輩になった真子様や佳子様がICUに来たがったのもそんな雰囲気に魅力を感じたからかも知れない。早速、この番組の担当になった河野カメラマンと私は24時間、居場所を知らせ合う待機にはいった。

私がF中尉の案内で横田基地の部隊や飛行機の内部などのリサーチをもとに書いた構成表に沿って河野カメラマンは撮影を担当、私は録音とナレーション原稿に必要な取材を担当するべくF中尉からの電話を待った。1週間たち、2週間たっても電話はない。

この年は幸か不幸か日本列島に近づく台風が少ないのだから仕方がない。緊張がゆるむ一方で、あせりがでてくる。私の番組放送日は8月末なのに加えて、私は前の年から、東京オリンピックの取材に来る外国放送陣の通訳兼アシスタント要員として代々木の国立競技場に詰めることが決まっていたからだ。

顔には出さずとも心の中では「台風よ来い!」を祈る毎日が続いた。当時、台風と言えば強風と豪雨で木々が倒れ、川が氾濫する地上から見た映像を想いおこしたものだ。ものすごい上昇気流が生み出す分厚い壁雲を突き抜けて台風の目に飛び込むことは想像するだけで心が躍った。