一方、グラスゴー・コマ・スケールでは、E開眼、V言語音声反応、M運動反応に着目する。そしてEについては、自発的に開眼、言葉により開眼、痛み刺激により開眼、開眼しない、各々に4~1点をつける。

Vについては、見当識あり、混乱した会話をする、不適当な単語を発する、無意味な発声、発声なし、各々に5~1点をつける。Mについては、指示に従う、痛み部位に手をもってくる、痛みに対して手足を引っ込める、異常な手足屈曲反応をする、手足の異常伸展をする、動かない、各々に6~1点をつける。

いずれの意識レベル判定基準でも、反射の有無および応答性の違いや簡単な見当識の有無を外形的・客観的に判定しており、ここで扱う「意識」では、自我や気づきなどの主観的現象についての判断はなされていない。「医学的意識」では、通常私たちが「無意識」の反応と考えている応答を含めて「意識」のレベルを定めているにすぎない。

第三章 気づいているという意識・クオリア(第二の意識)

「第二の意識」は気づいている状態を示す。無意識に対して「意識」という単語を用いる際の「意識」は、ほぼこの「第二の意識」を指している。この章の以下の節で詳しく説明していくが、私たちは外界からの刺激による感覚入力のほとんどに気づいていない、つまり知覚(ちかく)していない。

感覚を受けることと、知覚することはレベルが異なっている。私たちがあることに気づく時に、そのあることにはそれ特有の主観的体験が伴う。例えば、焚火で赤い炎を見れば、熱そうな赤色を主観的に感じ、冬に雪の積もった川岸から川の水に触れれば、冷たさを生々しく感じる。この生々しい主観的体験はクオリア質感(しつかん))と呼ばれ、「意識」に上がってくる。

そして、ある事柄に注意していれば、それに関係する事柄や感覚入力に気づきやすくなる。気づくことに関係した神経活動の研究により、興味深い新知見が得られてきており、気づきが特定の神経細胞集団の活動によって引き起こされることは確かである。

ある感覚入力が知覚されることにかかわる神経活動について、以下のいくつかの節で具体的に説明する。しかしながら、神経活動によって主観的なクオリアがいかにして生じるかは、答えることが困難なハードプロブラムである。