第2章 かけるくんの子ども時代
2 幼稚園時代
かけるくんが自分で遺伝子検査を受けることを決心し、愛知医科大学病院で遺伝子治療の第一号になったのは、何よりもかけるくんのお母さんの教育方針が正しかったことの証拠だと思います。なので、私もそのリハビリの先生の意見に賛成です。
もちろん、側弯がひどくならないことも大切ですが、それ以上に人間が精神的に自立して生きることができるのは何よりも大切だと思います。かけるくんは3年保育でたくましく育ちました。周りの保護者や園児たちの理解も得られて、3年間を楽しく過ごしました。
今でもこのときの幼稚園の先生とはときどき会う機会があり、かけるくんは照れ臭そうに話をしているそうです。かけるくんが精神的にしっかりと自立しているのに対して、かけるくんのお姉さんは全然違います。お姉さんは何かを自分で決めることはあまりなく、「どうしよっかなぁ」と迷って結局自分では決められず、状況に流されてしまうところがあります。
例えば、遺伝子検査のときもかけるくんのお姉さんは、「かけるで遺伝子異常が出たんだったら、たぶん私も一緒だからいいや」と検査を受けませんでした。また、遺伝子治療のときも、かけるくんは前向きだったのに対して、お姉さんは及び腰でした。
ちなみに、お姉さんは年商1兆円を超える企業に就職しています。就職セミナーで、目当ての企業ブースが混んでいたので、空いていた隣のブースをふらっと見に行って、結局そこの企業に就職しました。いつも自分では決めずに流されて生きています。
一方、かけるくんは大人になった今でも、何ごとにおいても自分で考えて自分で行動していきます。自分で決めていくことができるというのは、もちろん生まれたときの性格もあります。しかし、かけるくんのお母さんは幼稚園の3年間の経験が大きかったと言います。
かけるくんは3年間しっかりと幼稚園に行ったのに対し、お姉さんは半年しか幼稚園に行けませんでした。三つ子の魂百までと言いますし、障害があるお子さんだからといって保育園や幼稚園に行かなくていいわけではありません。特に脊髄性筋萎縮症のお子さんは知的に正常なので、より早期から一般のお子さんに交じって生活することが大切だと思います。