【前回の記事を読む】「緩やかな三角関係」に至るまで…男2人の過去のいきさつ

来栖・葛城・真理の三角関係

実態はフリーランサーだが一応名目上は非正規で雇用された形でマスコミ業界誌の記者をしていた頃だった。

どこでアドレス情報を得たのか来栖のほうは聞きそびれてしまったが、葛城からもらったメールで再び二人の親交は始まった。来栖はその間の学生時代にESSクラブに入って男子、女子を問わずグループ内でいろんな相手と話を交わし、英語でディベートの練習をし合うのが役立ったのか、卒業する頃には外向的と言えるほどの言動ができるようになっていた。

その後社会に出てからは、結構外交的で社交家タイプの人間が出来上がり、葛城よりもむしろつき合い上手で、交際の輪を広げていける如才なさを身につけていた。これはもちろん利害を伴わないプライベートなつき合いという範囲内でのことで、仕事やそれに付随する人脈などがかかわってくると話は別だ。来栖の交際範囲はまだまだ限られたものだった。

女性関係に限っていえば、自然体で女性に近づき、会話で相手に飽きさせない術など心得るようになっていた。その方面で自信が多少ついたとの自覚があったのかどうかは今となっては確かめようがないが、高校時代に葛城の配慮をすべて断ってしまったということに対する負い目があったのかもしれない。

今度はお返しにということなのだろうか、葛城も好ましく思うのではなかろうかと判断した女性と知り合った時など、来栖のほうが葛城を引っ張り出してその女性を紹介することも何回かあった。

葛城は逆にその頃には落ち着いてしまっていて、いわゆる若年寄風の物腰を身につけていた。女性一般に対しても積極的に知己を求めるという意欲など持ち合わせていないように見えた。むろんこれも来栖の主観的な見方で、本来の葛城の人となりが実際に変わっていったのかどうかは分からない。

高校の時とは異なり、異性への対応ではこの頃の来栖と葛城は中道へと互いに歩み寄ったということなのかもしれない。真理と親しむようになった時には、高校時代とは逆転した立ち位置で共同体制が出来上がっていた。来栖は家族のことについて、そして自分と近しい男女の結びつきについても離反や疎遠、そして絶交や死別という一連の人間関係の破綻とその修復の試みでは、いつも正確に実情を知ることが遅れてしまい、適切に対応していると思えた言動も後手後手に回ってしまう。

その結果、事後確認の役回りをしているだけだという思いで、内心忸怩たる気分になってしまうことも多かった。表面上はつき合い上手ということになっていたが、実際のところではそのような状況に陥ることが多かった。

それに加え、葛城と自分の場合は、真理を介してある種の拮抗関係の立場にあったのだということも当然といえば当然なりうる人間関係の構図であるのに、つき合いだして相当経ってからやっとそのことを悟るありさまだった。自身の鈍感さに呆れてしまうというお定まりの結果である。