【前回の記事を読む】1人で飛び出し、父親も振り切って…家出少女が向かった先とは

先生は困った顔をして私を見る。いやいや、私の方がずっと困っている。

「先に風呂に入ったらええ。ゆっくり入っといでや。部屋は二階やから、風呂から上がったら二階へおいで」

はい。でも、ゆっくりなんて浸かっていられなくて、ささっと上がった。洗濯機にと言われたけれど、そんなわけにいかない。下着をざっと手洗いして、バスタオルで包んだ。朝、物干し場にこっそり干しておけばいいだろう。

足音を忍ばせて二階に上がった。階段を登り切った所に襖戸が二つあって、どっちを開ければいいのか迷う。そっと左側を開くと、小さな文机の前に先生が座っていた。

「お風呂、ありがとうございました」

「また、えらいかしこまって。気楽にしたらええから。神崎さんの部屋は隣やで。布団、敷いといたから、ゆっくり寝えや。それにしても、そのパジャマ。笑えるな。どこのおばさんかと思うたわ」

貸して貰ったパジャマは、水色で花模様だ。いつも着ているナイトウェアとはぜんぜん違った手触りで、前ボタンになっている。

「先生。明日、先生は塾に行くんやよね。その間、私はどうしてたらええの」

「それは明日の朝、起きてから考えよ」

せやね、そうしよ。でも布団に入ると、明日からどうしよ、そればかりが浮かんで目を瞑っても寝られそうになかった。

門の鍵を開けながら叫んでいた母親の声と、歩道橋の階段で私のバッグを摑んだ父親の男にしては細い手が、頭の中で撹拌される。

あのあと、父親は家に帰って母親に何と言ったのだろう。まさか、行かしたった、なんて言ってはいないだろう。

私を取り押さえ損なって、母親に(なじ)られる姿が目に浮かぶ。

父親と母親の喧噪、それからも私は逃げたかったのかもしれない。

捨ててきたんだ、もう。何があっても、あの家には帰らない。何もかも捨てて生きる、自分で選んだ道だ。