木曽路を歩く
学生の頃、夏休みに四日かけて木曽路を歩いたことがあった。中山道にあこがれ、木曽路にあこがれ、木枯し紋次郎にあこがれて。
JRの日出塩駅から中津川駅まで約八十キロメートル、木曽十一宿をたどる。二万五千分の一の地図に旧道をマークし、宿場町に民宿だけを決めて歩いた。
一日約二十キロメートルをあちこち見物しながらてくてく歩くのだが、なかなか目的地に着かない。時はどんどん過ぎていく。この峠の向こうに目指す宿場町があるかと思えば、また峠が現れる。
汗びっしょりになって歩く自分を、道端の名もなき花が、道祖神が、鳥のさえずりがなぐさめ、励ましてくれる。日も暮れかけて、やっと目指す宿場町に着き、民宿の明かりを目にした時の喜びは格別だ。昔の旅人もきっとそう感じたことだろうと思った。
二日目は、日がとっぷり暮れても宿に着かず、真っ暗な国道をとぼとぼ歩いていた。右も左も真っ暗で何も見えず、虫の声だけが聞こえてくる。全く車も途絶え、ごくたまに轟音をとどろかしてトラックが通り過ぎていく。
そのヘッドライトの光が、瞬間、右も左も見渡す限りの墓石の群れを照らし出した時の恐怖を何に例えれば良いだろう? 再び漆黒の闇に包まれたが、そこは間違いなく広大な墓地の真っただ中であったのだ。
そして三日目の夕暮れ、汗びっしょりで妻籠宿にたどり着いた時の旅情と言ったら……もう、なんとも言えない。すっかり江戸時代の旅たび人にん気分だ。その夜の酒のうまかったことと言ったらなかった。四日間、本当の旅を満喫した。
数年後、そんな木曽路が忘れられなくてツーリングの帰りにバイクでその行程を走ってみた。なんと、二時間で通り過ぎてしまった。あの日見た風景とは一度も出会わないままに。現代人はスピードと引き換えに、とても大切な物を置き去りにしてきたのかもしれない。
てくてくと夏の終りの木曽路かな