末吉は、「赤線の町で知らない者はいない」と言われるほど有名だ。何が末吉を有名にしているかというと、なんと言ってもその執念にも似た皆勤率だ。末吉はどんなことがあっても、毎日必ず赤線にやってきた。

台風の日だろうが、正月休みだろうが、大雪が降ろうが、地震が起きようが必ずやってくる。家から徒歩で十分程度で行けることもあるだろうが、そればかりではないようだ。それを一番端的に表す事例が、胃がんの手術のときにもあった。

さすがに手術の前後は動けなかったので、本人が赤線に行くのは無理だったが、なんとそれでも馴染みの店にはあの悪友の一人、佐久間に金を渡して、末吉の名代(みょうだい)として飲みに行かせていたのだ。そのとき、佐久間に言い渡した遊ぶ条件が面白い。佐久間を末吉の名前で店に行かせ、店のスタッフや客に、佐久間ではなく末吉さんと呼ぶことにさせたのだ。

その日数は、二週間以上となり、初めはぎこちなかったが、そのうちに慣れて、佐久間は違和感なく末吉として振る舞い、店のスタッフや周りの客からも「末吉さん」と、当たり前のように呼ばれるようになった。

末吉がそこまでして赤線に自分の痕跡を残しておきたい理由は、まったく分からない。おそらく自分でも分からないのではないだろうか。

そのうえ、こんなこともあった。なんと末吉は、手術をして十二日ほどしか経っていないのに、自宅への外泊許可を取った。それも、そのことを家には知らせないでだ。なんと末吉は、手術をして抜糸も済んでいない状態で、都内の病院からタクシーをとばして、赤線のキャバレー「ナポレオン」にやってきたのだった。これには、さすがに赤線の連中も驚いた。

「ナポレオン」の支配人は、すぐに病院に戻るように言ったが、末吉はウーロン茶を飲みながら、カラオケで演歌を歌ったり、店が用意する夜のゲームに興じながら、馴染みの店の女の子たちと大はしゃぎして遊んだ。いつもはエンディング曲の美輪明宏の『メケ・メケ』がかかって、最後のチークダンスを踊ってから帰る末吉だったが、術後のこともあり、さすがに疲れてソファーで寝てしまった。

その末吉を迎えにきたのは、スナック「オレンジ」のママ峰子だった。峰子は、末吉が家に内緒で外泊許可を取り、赤線に来ることを末吉自身から電話で聞いて知っていた。峰子は外に待たせてあった馴染みのタクシーに、運転手にも手伝ってもらって末吉を乗せると、一緒に自分の店の二階にある住まいに連れて行って寝かしつけた。