【前回の記事を読む】運転中に現れた謎の女…「もうすぐ、社会が大きく変わるのよ」

未来への手紙と風の女

学生たちは、アルバイトで稼ぎ、デートも派手だった。

ジョルジオ・アルマーニや、VERSACEや、コム・デ・ギャルソンのスーツを着こなし、ディスコで、踊りあかす日々を送っていた。アルバイトに明け暮れ、大学の講義には、ほとんど出席しない。学生コンパで、繁華街は潤い、男も女もお洒落をして、学生生活を謳歌した。

海外留学も、この頃に、トレンド化し、語学スクールも多く誕生した。バイリンガルというワードも、流行化した。海外不動産投資も増え、アメリカの有名ビルが日本企業に買われていった。資産価値などほとんど考慮に入れずに買いまくっていた。この頃から、外資系企業に興味を持つ学生も増え、次第に、これらの企業への就職希望者が増え始めた。

一方、日本の好景気に注目した外資系企業もどんどん日本法人を立ち上げ、学生を集め始めた。好待遇で、日本企業からヘッドハンティングをしまくった。海外旅行も、学生のトレンドとなった。

日本経済が、勢いに乗り、団塊の世代が、この時代の先導役となった。濡れ手で粟、ロマンス・グレー、高級BARで葉巻を燻くゆらし、女を侍らし、好き放題。女はディスコでお立ち台に上り、ワンレンボディコンでQueenと崇められ、先行きの不安など全くない、というかのように踊り狂っていた。

僕は、あの頃から、少し背伸びをして、女性をBARに誘うようになった。落ち着いた雰囲気があり、高級感の漂うBARに、女性は皆喜んでくれた。ディスコの帰りは、お決まりのコースだった。その頃のバーテンダーに教えてもらったのが、〝YOKOHAMA〟だった。浮かれ続ける街の喧騒を忘れさせてくれる、静かなBARだった。

大学の頃の友人が、そのBARに、バーテンダー見習いとして入っていた。バブルに浮かれ、企業は選び放題だったのに、その友人は、このBARの、そのバーテンダーに憧れて、下積みを送っていた。バーテンダーの仕事は秀逸だった。いつだったか、友人に聞いたところでは、たいそう厳しく鍛えられたそうだ。グラスの磨き方まで細かく注意された。

BARの店内照明も明るすぎず、暗すぎず、微妙な均衡を保っていた。明かりの色を維持するために、友人は毎朝、照明の磨きもさせられていた。全てが微妙なバランスを保ちながら、安心感のある、店の雰囲気に、僕は魅了されていた。だから、ディスコの帰りは必ずこの店に立ち寄り、心を静めることにしていた。

ディスコで知り合った女をこの店に連れてきて、落ち着かせることも必要だった。盛り上がって、その場の雰囲気で女を抱くことはしたくなかった。だから、僕は、バーテンダーに、僕が連れてきた女性には、このカクテルを作ってほしいと頼んでいた。

友人はまだ、シェーカーを振ることは許されなかった。ただじっと、バーテンダーの手元を見つめ、音を聞き、その技を身につけることに専念していた。僕は、シェーカーの音が好きで、連れてきた女性も、シェーカーの音に耳を傾ける。街の喧騒がかき消え、静かな時間だけが流れていく。BARで会話をすると、ディスコの最中には魅力的に思えた女性が、急につまらない女に思えることがたくさんあった。