【前回の記事を読む】突如襲われた「死を感じるような空腹」…その奇妙な原因とは?

鳥辺野あたり夏の黄昏

ある夏の夕方、清水五条駅で京阪を降りて、五条坂を東に歩いていた。今は国道一号線の歩道でずいぶん交通量も多いのだが、なんだかうら寂しい雰囲気がある。

それもそのはず、平安の昔から加茂川以東、清水の頂にいたる一帯は鳥辺野という広大な葬送地帯であって、そのおもな方法は風葬であったという。風葬というと聞こえがいいが、ようは放置するのである。だから死体がごろごろ転がっていたわけで、轆轤(ろくろ)町という清水焼を連想する地名もかつては髑髏(どくろ)町であったのを「ちょっとイメージ悪い」との要望で変えたものだという説もある。

時あたかも黄昏(誰そ、彼?)時は遭魔(おうま)の刻、そんなことを考えながら歩いていると、東からやってくる人たちは果たしてこの世の者か、あの世の者かと思う。一歩北に曲がれば古い民家がセピアに沈み、昭和大正の風情を醸し出している。

しかしその先にはこの世とあの世の境と言われた「六道の辻」があるはずで、ちょっと怖いのでそちらには向かわず、まっすぐ東に向かった。東山五条まで来て、なぜだかふと東大路から浅く北西に入る細道に入ってみたくなり、方向転換した。細い暗い道を歩いていくと、ここもなかなか風情のあるレトロな通りであって、いい選択だったなと思った。

日はすっかり沈んで夕闇が濃くなり、そろそろ東大路に復帰したいなと思った頃、前方にT字路が見え、なにやらおだやかな店の明かりが見えた。あそこで右に曲がればいいなと、ちょっとほっとしてT字路に辿り着き、ふと正面の店から左に視線を転じると、古いお寺の朱塗りの門が闇に浮かび上がっていた。朱色がぬらぬらと妙になまなましい。

前に古い石碑があった。暗い中、目を凝らして見ると、「六道の辻」と読めた。さすがにぞっとした。この小さな交差点こそが六道の辻、この世とあの世の境目なのだった。いちばん来たくなかったところへ、なぜ辿り着いてしまったのか不思議でしょうがない。偶然だろうか、それとも何かに引き寄せられたのだろうか。

この六道(ろくどう)(ちん)皇寺(のうじ)、平安時代の超人小野篁(おののたかむら)がこの世とあの世を行き来したという井戸がまだ残されている。