【前回の記事を読む】テレビも取材に来た!蔵の2階に「座敷わらし」が住んでいる

座敷わらし発見

ある営業マンが座敷わらしに、

「おじちゃんお菓子ちょうだい」

と言われた翌年二〇一八年三月四日、私は蔵の入口に飾ってあった七段飾りのお雛様を片づけ、その箱を蔵の二階の奥に置いた。その時突然、蔵の二階の照明が消えた。

照明のスイッチは、蔵の一階の階段の昇り口にあるので、下で誰かスタッフが電気を消したと思い、

「私、いますよ」

と階段の下に向かって叫ぶと、『ポワン』と蔵の二階の照明がついた。

あとで下に行き、

「今、誰か蔵の二階の電気、消しましたか」

と尋ねたが、誰も心当りはなかった。

一体、誰が蔵の照明を消したのだろう。

もしかしたら、昔装束のお雛人形たちがしまわれるのを、座敷わらしが嫌がって、イタズラをしたのかもしれない。

座敷わらしが、その小さな存在をそっと教えてくれたようで、心にポッと火がともったような気がしてうれしかった。

(有)マルセンの二代目社長、高橋克裕

お店の中に蔵のある店「(有)マルセン」の二代目社長、高橋克裕は、高橋(せん)治郎(じろう)、みどり(私と同名)の長男として一九五〇年に生まれた。姉と妹がいる。

地元の角田小学校、角田中学校、角田高校を卒業後、横浜商科大学商学部に進み、卒業のころ、心臓病を患っていた母を気づかい、店を継ぐ決心をする。

父と母の商才は素晴らしく、仙南地区で食品の卸しと小売を手広くやっており、克裕が店に入ったころは、店の向かいには喫茶店も、同時に経営していた。

喫茶「白樺(しらかば)」は、角田市に初めてできた喫茶店で、ドアチャイムの付いた入口のドアを開けると、赤い絨毯(じゅうたん)張りのおしゃれな造りである。当時は入口で間違って靴をぬぐ人もいたそうだ。喫茶「白樺」の経営は人にまかせていたが、克裕は、大学時代から休みで帰省している時には喫茶店を手伝う『かっこいいお兄さん』だった。

冬になると、みやぎ蔵王(ざおう)にスキーに行く克裕だった。スキーの腕前もなかなかだった克裕は、大学時代の親友・関沢(せきざわ)と蔵王の頂上からすべっていた時、前妻の喜代子(きよこ)と出会う。

喜代子は神戸の都市銀行に勤めていたが、休みの度に克裕宅を訪れ、ついに家出同然に、ハンドバッグ一つで押しかけて来たのだった。

心優しい高橋家の人たちは、遠路神戸から家を出てきた喜代子を不憫に思い、靴から洋服、着物や帯にいたるまで買い揃えてやる。

そして、男気(おとこぎ)のある克裕は、自分だけをたより神戸から東北へやって来た喜代子を嫁にする覚悟を決める。

父・千治郎は、克裕と喜代子と叔父を伴い、遠路、神戸の喜代子の実家に挨拶に向かう。

しかし、神戸の喜代子の実家では、父母兄らが家出同然に出て行った喜代子を叱り、母は喜代子に平手打ちをくらわせた。

当然、

「上がってお茶でも」

の一言もなく、克裕は喜代子をかばい、宮城県角田市へと連れ帰ったのだった。

義父・千治郎と義母・みどりは喜代子を不憫に思い、克裕と喜代子の結婚式を、他県の人でもわかる有名な仙台青葉城跡の式場で、盛大に執り行なった。

しかし、喜代子側の両親や親戚は、一切出席することはなかった。