第一章 突然の別れ
ヴェネツィアで
「ママ、大丈夫?」
娘の声が、耳の中で空回りした。娘は、私が動転することを予期していたのだろう。強い声をあげた。
「ママっ、聞こえてる? 私だよ、ママっ!」
「……嘘っ」
と言ったことを覚えている。
「嘘っ」
その先、言葉が続かなかった。
「ママッ、大丈夫!?」
悲鳴に近い娘の声が、トゲのように耳に突き刺さった。心臓がギュッと縮まった。
「いつ?」
「今から三時間ほど前。警察から電話があって、病院に来てくださいと言われて……、それで……」
二、 三秒、沈黙があった。
「……正博と一緒に……確かめて、きた」
娘と息子が確かめたのだ。嘘じゃないんだ。現実なんだ。瞬間、しっかりしなきゃ、という思いが電流になって全身に走った。帰らねばならない、日本に。
「一番早く、日本に帰れる飛行機を取るから」
「ママ、大丈夫? 迎えに行かなくてもいい?」
「大丈夫。すぐに手配する。そっちは? 正博はどうしてる?」
「疲れて、今、寝てる」
「わかった。寝かせておいてやって。オーパには?」
「まだ知らせてない。こっち、今、朝の四時半なの。早すぎるでしょ」
「そうだわね……」
オーパとは、夫の父のことである。ドイツ語で「おじいちゃん」という意味で、娘が生まれたときに
「まだおじいちゃんとは呼ばれたくないから、ドイツ語のオーパにしてくれ」
と言ったため、そう呼んできた。
義母が約八年前に亡くなった後、義父は我が家のすぐ近くに引っ越してきて一人住まいをしている。博史は、ひとり息子である。この三月に九十歳を迎える義父に、いったいどのように伝えればいいのか。どんな言葉でどんな言い方をすれば、少しでもショックをやわらげることができるだろう。私が伝えるべきだが、電話で話すには、重すぎる。義父が倒れかけても、支えることもできない。