三十分ほど話して、
「じゃ、今日はバタバタするから、電話もメールもできないと思う。飛行機に乗る前に、成田から電話するよ」
「気をつけてね」
「うん。ありがとう」
「じゃあ、ね」
受話器の向こうの博史の息遣いを聞いてから、電話を切った。博史はいつも、私が電話を切るまで待ってくれた。翌日は、一日を張り切って過ごした。家を念入りに掃除した。市場へ行っていつもより少し上等のハムとチーズを買った。ワインを冷やした。野菜は、次の日に新鮮な物を買うことにした。
博史がサン・マルコ空港に着くのは午後九時四十分の予定だから、余裕があると思った。イタリア時間の午後八時二十分。日本では二十二日の深夜四時二十分。簡単な夕食を済ませ、写真の整理をしていた。LINE電話の呼び出し音がした。東京にいる二十五歳の娘・千博からだ。二十三歳の息子の正博はしょっちゅうスカイプしてくるが、娘からの電話は初めてで、珍しいなと思った。
「もしもし、どうしたの?」
私の言葉を最後まで聞くこともせず、娘は一気に告げた。
「ママ、落ち着いて聞いてね。あのね、交通事故があって、それで、パパが亡くなりました」
それが、第一報だった。西原博史。享年五十九。早稲田大学社会科学部教授。早稲田からヴェニス国際大学に赴任中、日本に一時帰国していた間の交通事故だった。