恭子からの突然の手紙
来栖はこの時の女性とのつき合いで、改めて自分は性には淡白だと自覚した。この淡白さがさらには女性との堅固そのものといった結びつきをなるべくならば避けたいという態度につながるのだろう。
恭子にもそのように受けとめられていたのかもしれないと考えたこともあった。体の触れ合いが最も大事で、逆にそのほかのつき合い方は彼女にとっては全く問題外であり関心も無いという時期が確かにあった。性交そのものから快楽を得るというよりも、肌のぬくもりを感じ合っているということが無上の幸せという感覚を大事にしていたのではないかと思う。
その意味で「肉体派」という言葉は恭子のようなタイプの女性にこそむしろふさわしいのだろう。これが正直なところ、率直な思いだった。
それと同時に、彼は恭子の性格や性向を断定調で決めつけたこともあったことを思い出し、内心忸怩たる思いがした。彼女の性的嗜好を勝手な思い込みで納得してしまい、その心中をあまりに自己中心的に探りすぎていた。その結果、勇み足以外の何ものでもない論拠を振り回したと、遅ればせに悟ったのである。
しかしそのような反省のすぐ後で、彼の考え方は反転し、開き直ることもある。結論づけや決定をそのままで良しと、再び思い込もうとする。あれこれ恭子との過ぎ去った日々の内実を堂々巡りに近い形で詮索したということになろうと、自己満足であろうと、ひとまずは自らの疑念に終止符を打つことができたはずだと思い込もうとした。
恭子と定期的に会っていた頃だが、彼女が待ち合わせの場所として指定したホテルでいくら待っても現れないことがあった。自宅に戻り、病か事故かなど彼女が来なかった理由を思案しているうちに三日経ち、珍しく彼女からメールではなく切手の貼られた手紙の形で連絡がきた。
「何も連絡しないで、ごめんなさい。最近変わったことといえば、子供ができたことです。少し前から吐き気がしたり眩暈がしたりしましたので病院に行ったところわかりました。これまでの貴方とのことも振り返る機会になり、これからは当分の間、あまり人とも会わないようにして静かに暮らしてみたいと思います。恭子」