果たして百九十万のアジア軍はヨーロッパを制圧できるのか。

ジンギスカンの長子ジュチの名を被せた「ジュチ・ウルス」は長年の懸案、ヨーロッパの盟主と成りうるのか。

映画はこれらの謎に答えを出さぬまま終わりを迎える。

すべてを観客の想像に任せてしまうのだ。

ロシア映画「野に立つ白樺」のなんとも奇妙奇天烈(きてれつ)なラストシーンは、観ていたヨーロッパ人全体の心胆を凍らせた。

私、笹野忠明はインド映画「マルト神群」の日本公開に宣伝マンとして立ち会った。

監督の涯鷗州や婆須槃頭らはついに日本に姿を見せなかったが、映画は日本では一応の成功を見た。それよりも一部批評家の熱烈な賛辞がマスコミの目を引いた。賛辞は賛辞を呼び、日本人のポピュリズムに火がつき、日本人は神話の不可思議さに気づきだした。

ある批評家はこの大映画が現在の世界の映画分布を書き換えてしまうのではとも言い切った。

その後、婆須槃頭の名が一気に日本に浸透したのは、実にこの「野に立つ白樺」の主演によってであった。

ロシアはなぜ西ヨーロッパを刺激してやまないこのような映画を撮ったのか。そこには西ヨーロッパに対するロシアの複雑な感情が存在する。ロシアの西ヨーロッパに対する引け目とも言ってよい。

セルゲイ・ボンダルチュク監督主演の「戦争と平和」で世界を驚倒させて後、ロシア映画界は長らくヨーロッパ映画の後塵を拝し低迷していた。婆須槃頭はロシアのそこを突いた。ヨーロッパ映画への当てつけをあからさまにしようとした。

そして出来上がったのが「野に立つ白樺」だった。あの中国映画さえもこの映画の支援に回った。監督のアレクセイ・F・ゴージンシュトフは、憑かれた様に婆須槃頭に次回作出演の要請をした。