その後中年の年齢を迎えた来栖は、異性に対して自らの肉体を通じて性欲を覚えていることは繰り返し確認できるのだが、その異性の心に立ち入りたいとか、立ち入らねばということになると、妙に躊躇し相手に距離を置いてしまうようになっていった。そのような己の姿をはっきりと確認してしまうこともある。
そして必ず自分自身が嫌になり、このような相手の心に寄り添えないかたくなさをいつ、どこで仕入れてしまったのかと自問自答する。この繰り返しの中で、彼は情感が欠乏しているというべきか、あるいは一気呵成に枯渇してしまっているというべき状況にまで陥ったのではないのかなどと考え始めた。
ところがこの心のかたくなさというものの由来を理解しようと努める段階になると、途方に暮れてしまう。近しい係累の者の死が続いた頃からこの兆候は出てきていたのだろうかと、思い出したくもない時期を嫌々ながらも思い出そうとする。それでいてはっきりと思い出そうとする執着心も中途半端で、結局は全てうやむやのままに終わってしまう。
さらにこの心的態度は周囲の人間にどのような影響を与えているのだろうということまで憶測する心境になることもあった。それにもかかわらず、二宮百合に関して「偲ぶ会」のようなものが音楽サロンの常連向けに催されると、来栖は出てみる気持ちにもなり実際に参加することもあった。
そのような集いに加わるために家を出ても、単なる傍観者で心ここにあらずといった状態で、たまたま出席してしまった人といった印象を他の参会者に与えるのではないかと、途中で思ってしまう。
内心忸怩たる思いを既に家を出る前に抱え込んでしまうときもあった。彼女の死後およそ二年を経た時、彼女に近しい女友達だろうか、二名連記の差出人による「二宮百合さんを偲ぶ会」への案内状が届いた。政経塾からも卒塾と同時に足が遠のき、それ以上に音楽サロンは過去の思い出に過ぎなかった。
しかし「偲ぶ会」の案内状にある二名の幹事にとって、来栖は今でも常連の一人と思われていたのだろう。何周忌といった堅苦しいものではなく、気楽に故人の思い出を語り合いましょうと、書面には書き添えられていた。時間が空いていたこともあり、出席することにした。