次に笹野が質問した。
「文化面のジャーナリストをやっています笹野忠明というものです。このほど、インド映画にご主演ということを聞き、やってきました。取材をさせてください」
「どうぞ。ご期待に添えますかどうか」
「まず、この映画のタイトル、『マルト神群』ですが、これについて、ご説明願えませんか」
「どこで、どう探さぐられたかは知らないが、それを話すには長い時間がかかる。それに、それがタイトルだということはまだ決まったことではないんだ」
「ですが、映画のタイトルはこれだとは聞いていますよ」
「それは私の役名であって、映画全体とは関係ない。監督自身もどうするか、今は決めかねているんだ」
笹野は息を飲んだ。予想だにしていないことが進行していた。
「それでは、基本的なことをお聞きしましょう。貴方のお名前をお聞かせください」
「それを最初に言うべきでしたな、失礼。私は婆須槃頭(バスバンズ)というものです。紀元四百年頃、唯識学(ゆいしきがく)を確立させたインド仏教の高僧、確か世親(せしん)というのが日本での通り名でしたが、このコルカタで舞台劇化された時の私の役名がそれでした。それ以後、その役名を芸名にしてきているのです」
口で言ってもわからないと思ったのか、男は笹野のメモ用紙にその芸名を書き込んだ。
「婆須槃頭」
笹野は一瞬めまいを覚えた。
なぜこの男は芸名に漢字を使うのか。その当て字としか思えない漢字の読みが、なぜ実在したインドの高僧の名に合致するのか。この男の本名はいったい何なのか。
あらゆる疑問が一瞬にして頭を駆け巡った。