外泊の許可

1回目の入院は延べ4ヵ月にわたったが、病棟には冷蔵庫があるし、調理ができるキッチンもあるし、洗濯もできるのでわりかし不便はない。

しかし、なんといっても日常の時間の潰し方が問題だった。テレビは当時持ち込み可能であったが、アンテナはなく、簡易アンテナをテレビにつなげた。ダイヤルをカチカチ回し映りの悪いテレビを観る。

そして、プラモデル。僕らはもっぱら暇なわけで、プラモをつくりまくった。6人部屋のなかで殆どの患者がつくるものだから、病室は接着剤や塗料の臭いでシンナー臭い。看護師さんがよく窓を開けて空気の入れ替えをしていた。

いまの病室なら考えられない。週末になると、部屋の何人かは外泊の許可を主治医からもらっていなくなる。僕はまだステロイドが減らず、感染症の恐れがあるので外泊の許可は出ない。悔しくてたまらなかった。

そんな病院の週末は静かである。看護師さんも少ない。でも、母親は殆ど毎日来てくれる。しかし、僕は我儘ばかり言って困らせていた。本当に悲しく辛い思いをさせたと思う。辛辣な言葉や、やりどころのない怒りを母親にぶつけ困らせた。

僕は何度も主治医に外泊の許可を求めたがOKの許可は出ない。そして、ステロイドが30ミリグラムくらいになった6月末にやっと外泊の許可が出た。久しぶりの外出が嬉しかった。外の景色がとても新鮮に見えたし、家のご飯が食べられたので感激した。

他の病室の人は、外泊最終日の夕飯は外食して病室に戻ってくるのが殆どで、そのときに何々を食べてきたと嬉しそうに話していた。外泊できない僕はもう、まったく羨ましくてたまらなかった。

もちろん、僕も外泊の最終日には外食を希望して、お寿司を食べて病室に帰った。

あの日のことは忘れられないな。