三現主義

・現場に行くこと─例えば、工場の製造現場や第一線の営業活動の場に行く。

・現物(及び現状)を知る─技術的要素と人間的要素の両方の現実に触れ、視察し、じかに接して情報を得る。

・現実的であること─現場で現物を知って得た情報を用いて現実的に評価や判断を行なう。

このような直接的な経験が問題解決の知恵を生み出す。ホンダは常にチャレンジを続けてきた企業である。チャレンジを続けることがホンダの成功をもたらした。

失敗を経験したことも事実だから、不断の研究と努力を怠らなければ失敗から次の成功へのカギを得ることもできる。

(出典:「ホンダフィロソフィー」)

ホンダがオートバイから自動車事業にも進出し、成功を収めたのもこうした企業理念の発現であろう。

既に二輪事業で世界のホンダを築いていた本田宗一郎は、当時の通産省(現経済産業省)の反対を押し切って敢えて競争の厳しい自動車産業に進出した。

1961年5月、通産省から自動車行政の基本方針(後の特振法案)が示された。特振法が成立すると、自動車業界への新規参入が認められなくなる。

ホンダは、法案成立前に四輪車の生産実績をつくるべく、1962年1月に急遽(きゅうきょ)、軽四輪スポーツカーと軽四輪トラックのプロトタイプ製作に着手した。

1964年7月、全国各地でSF(Service Factory)の建設を開始。1966年12月には、全国主要都市で営業所の建設がスタートし、翌春までに70カ所が開設された。

1966年10月21日、ホンダは軽乗用車・N360を発表した。最高出力31馬力、最高速度115㎞/h、運行燃費28㎞/Lという、小型乗用車並みの性能と、大人4人がゆったりと乗れる居住性、安全性への配慮など、従来の軽自動車のイメージを完全に打ち破ったものであった。

1968年10月21日、小型乗用車・ホンダ1300を発表。世界初の画期的な空冷エンジンを搭載した同車は、小型乗用車市場に打って出るための期待の商品だった。

1972年7月、ホンダは小型乗用車・シビックを発表・発売した。従来のクルマの常識を打ち破った全く新しいコンセプトで、当時の小型車市場に新風を送り込んだ。

そして、同年12月末、当時世界で最も厳しいとされた米国の排ガス規制のマスキー法を初めてクリアした低公害エンジン・CVCCエンジンを開発、そのエンジンを搭載したシビックは米国でヒットし、自動車事業の礎を築いた。