掛けた電話口に出たのは若い男の声だった。事務的で抑揚の無い声だった。児童相談所?

雅代は一瞬ダイヤルミスをしたかと思った。

「もしもし、お電話をいただきました柴原ですが」

「ご用件は? それに柴原何と仰います?」

「あのう、そちらからお電話をいただいたので掛けた柴原雅代です」

「柴原雅代さんですね。少々お待ち下さい」

昼休みの電話番だったのだろうかもどかしい会話のあと、しばらく待たされた。

「お待たせしました。お電話有難うございます。息子さんのことで少しご相談したいことがございまして先程職場にお電話をさせていただきました。私は南勢志摩児童相談所の上原紀代美と申します」

電話は落ち着いた女の声に代わった。

「息子って幹也のことですか? 幹也に何かありましたか?」

「お電話では何かと思いますので、お逢いしてお話をしたいのですが」

「お逢いしたいって、私は今大阪ですよ」

「わかっております。ご都合の良い日をお聞かせいただければ、こちらからお伺い致します」

電話の相手は逢う日時と場所を約束して電話を切った。

志摩の婚家を出て以来別れた息子幹也のことが頭から離れた日は一日もなかった。自分の行ったことが人の道に外れた行為であり、その代償として愛しい息子から遠ざけられてしまった。

婚家を去る時、不浄な手で触ってくれるなと別れ際に残す幹也を抱き締めることさえ許されなかった。仕方なく雅代は、父親の逸男の後ろで黙って涙を流し続ける幹也の顔を脳裏に焼きつけた。このときになり初めて雅代は失おうとするものの大きさを知らされた。連れて出ることも叶わず、触れることも許されなかった。

あのときはもう逢うことも無いだろうと涙ながらに覚悟して婚家を出たのだった。

「幹也に何が起こったのだろう。犯罪に巻き込まれたか起こしたか。それなら警察からの連絡になるはずだ。それが児童相談所からの相談とは」

訝りながら雅代は休憩室に戻った。
 

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。