流暢な会話にはならなかった。なぜなら、あおいとの思い出は、蓮の記憶に殆ど残っていなかったからだ。
しかし、想像以上に綺麗な人でもあった。てっきり、白髪交じりに皺を化粧で隠した、永吉と同年代の女性が現れるとばかり思っていたのだが。
肩の下まで伸びる栗色の滑らかな髪。見つめられると吸い込まれそうになる優しい瞳。ショートパンツにTシャツという着飾らない恰好だが、スタイルはよく、とても二人の子供を産んだ母親には見えなかった。
あおいと会うのは、今日が何度目なのだろうか。指で数えたくても、数える事ができない。ただただ、蓮には幼少期の頃の曖昧な記憶の片鱗が残されていて、それには確かに、永吉と一緒に、有花ではない別の女性がいたと記憶されている。
それはまだ両親が離婚する前の事だ。永吉は、有花が自宅で湯船に浸かっている隙を見計らって、蓮を外へ連れ出した。風呂から上がり、居間に戻った有花は、二人が何も言わずに外出していった事に気づいた。
蓮は見ず知らずの女性と、永吉と三人で食事をし、ゲームセンターで遊んだ。まだ五歳だった蓮は、母親である有花への罪悪感など何も考えなかった。勿論、蓮はその女性を、永吉の不倫相手だという認識もなかったし、むしろ、大人の世界の人間関係をよく理解できる年ごろではなかったから仕方あるまい。
「あの人と会った事は、お母さんには内緒だぞ。もし言ったら、もう外には連れていかないからな」
永吉からは、そう口止めされた。蓮は父親との約束を守った。それが唯一、蓮に記憶されている、永吉との最初で最後の約束だ。
次の日の朝、永吉は蓮を家に戻した。その時の、目が充血し瞼は腫れ、無理に引き攣った作り笑いをした有花の表情を、蓮は忘れられないでいる。そして、自分が何か悪い事をしてしまったのではないかと、不安な感情を抱いた事も。
今の蓮には、あの時の女性が永吉の不倫相手だったという事は予想できたが、その女性の顔までは思い出せなかった。ただ、話を聞く限りだと、今、永吉の隣に座っている「あおい」と名乗る女性が、あの時の「それ」なのだろう。
蓮は緊張して、上手く言葉にできなかった。あおいが永吉の不倫相手なら、永吉の妻だった有花からすれば、敵であるからだ。おふくろにとっては敵であっただろうあおいを目の前にして、たやすく接していいものだろうか。しかし、あおいの無垢な優しさや温もりは、そのような蓮の複雑な心情を一瞬にして振り払ってくれるものだった。
家に帰ると、有花は洗濯物を取り込む最中であった。
「ただいま」
「あら、遅かったわね。ご飯は?」
「いらない」
既に満腹になっていた蓮は、夕食をとる気になれなかった。
「そう」
それだけ言うと、有花は取り込んだ洗濯物を畳み始めた。