高麗の建国と滅亡:高麗の種族と朝鮮民族
『朝鮮の歴史・新版』には、
「926年に渤海が滅亡するが、その前後数万人におよぶ渤海人が高麗に亡命してきた」
と記しています。これは、高麗が外に向かって開かれた国であることを示しており、国としての強さの証しだと思います。渤海国の住民は高句麗人と靺鞨人であり、高句麗人が支配層で、靺鞨人は被支配層であったと『韓国の中学校歴史教科書』の75ページに記されています。
靺鞨人は、中国の隋唐時代に中国東北部と沿海州に存在した農耕漁労民族であり、粛慎・挹婁の末裔です。高句麗遺民と共に渤海国を建国した南の粟末部と、後に女真族となって金朝,清朝を建国した北の黒水部の2つが主要な部族であったとされています。
『高麗史』の「太祖一」には921年(高麗四年)、黒水の頭の高子羅が部下を率いて来て投降し、同年に黒水の阿於閒が部下を率いて来て投降したことが記されています。
これらのことから、高麗へ来た渤海人の中には、粛慎や挹婁の末裔の人達が含まれていたと言えます。
このように、高麗は色々な種族の人々を受け入れる開かれた政策を執っていました。女真族はその呼び方を後に満州族と自ら変更しており、後に中国の清王朝を建国した人たちです。そして、高麗は太祖初年に制定された官階を、中央の官僚や地方豪族、さらには高麗に居る女真族(満州族)の指導者にまで授与していました。
高麗の種族の由来を考えてみると、その基本は高句麗人であり、そこに韓族の辰韓人と馬韓人が併合され、さらに粛慎族・挹婁族の末裔や満州族が加わった人たちで構成されています。その高麗の基本となる高句麗人は、古朝鮮の領域にもともと住んでいた人たちと中国から来た支配層の人たちです。
古朝鮮の領域には鮮卑・夫余・粛慎・靺鞨・濊・貊・挹婁・沃沮などと呼ばれる多くの種族が住んでいました。韓国の民族に関して、2019年時点の韓国大統領は「半万年の悠久の歴史を共に生きた我が民族」と言っています。
しかし、この表現は幾つかの事実でない事柄を含んでいます。
その第一は「半万年の悠久の歴史」との表現です。
紀元前2333年の檀君朝鮮の建国をもって韓国の歴史の始まりとすれば、2019年時点で4352年が経過したことになり、これを以て「半万年」と言っていると思われますが、しかし、檀君朝鮮と箕子朝鮮は神話や説話であり歴史的事実とは認められていません。
第二は、神話の檀君朝鮮と箕子朝鮮を仮に事実と認めても、その支配者は外部(おそらく中国)から来て、当時そこに住んでいた原住民を支配したのであって、その国は現在の韓国とは人種的にも神話的にも地域的にも全く繋がりがないことです。
第三は、歴史的に実在が認められている衛氏朝鮮の存在です。
衛氏朝鮮は中国北方の燕からの亡命人である衛満が、自分を受け入れてくれた古朝鮮の王を攻撃して奪った国です。その地域に住んでいたのは、鮮卑・夫余・粛慎・靺鞨・濊・貊・挹婁・沃沮などと呼ばれる多くの種族の先祖の人々であって、主に現在の北朝鮮と中国の東北三省に住んでいた人たちであり、現在の韓国と韓族の人たちは含まれていませんでした。