『朝鮮の歴史・新版』の「第四章 高麗の国家と社会」の118ページには、「武臣政権の成立」として朝鮮における武臣政権の成立の様子が次のように記されています。【一一七〇年八月、毅宗ウィジョンが開城郊外の普賢院に行幸した時、警護に当たっていた武臣が突如文臣を襲って殺戮し、そのあと直ちに都に戻り、軍人と一緒になって王宮内外の多くの文臣を殺すという事件が起こった。いわゆる庚寅こういんの乱である。反乱を計…
[連載]韓国の歴史を直視する
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歴史・地理『韓国の歴史を直視する』【第7回】徳田 克
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歴史・地理『韓国の歴史を直視する』【新連載】徳田 克
享楽に耽り政治を顧みない王族…後三国の成立とその後の様子