田上が答えた。
「こんな広い範囲からなんて、どうやって見当つけたらいいんだろう」
と僕。
「先輩から過去問や重点を聞いてまとめたものがあるらしいけど、試験が近づいたら回ってくるでしょう」
高尾が落ち着いて答えた。やはりクラブ活動に属しているとそういう利点がある。
「高尾はいいよな、兄さんがいるから。何か資料かアドバイスとかもらえるだろう」
と田上がうらやましそうに言った。高尾にはこの医学部の2年上に在籍している兄がいると、僕は聞いたことがあった。
「いくら兄弟でも何でも教えてくれるわけじゃないから。それに兄貴は気まぐれだから気が向かないと、何もしてくれないよ」
抗議するような口調で高尾がこたえた。
「もし、万一なにも入手できなかったら?」
僕は不安を隠して、重ねて聞いた。
「運を天に任せて、自力でやるしかないでしょ」
田上があっさりと言う。現役でここまで来ている彼には何でも乗り切る自信があるのだろう。結局、最後は各人が各様に、自分の責任で切り抜けてゆかねばならない。
確かに、医学部の連中は頭が良かった。自分のような例外もいたが、何でも要領良く、卒なくこなしていた。不器用の反対語が何か知らないが、いわゆる器用だった。多分、人生も器用なのだろう。
次に、腹直筋を切断する。周辺に付着して、ベールのように筋を被う結合組織をていねいに除去し、下方の組織から引き離して浮かせ、独立させる。
1本の硬い焦茶色のゴムの棒のようになった腹直筋の筋腹中央を、剪刀で真二つにする。それぞれの両端を裏返すと、表面に糸屑のように神経や血管が張り付いている。
そう言えば、肉屋で売っている食肉にはなぜ神経や血管がないのだろう。