そんなことを話す康代も運に恵まれない苦労の多い女だった。康代は、地元の県立の高等学校を卒業すると浜島にある観光ホテルのフロントに採用された。働き始めて三年も経つと女らしさも増し、よく気の利く働き者との評判も得た。
二十二歳のとき、五歳年上の漁師との結婚話が持ち上がった。相手は浦村登という名前で小型だったが自前の船を持ち水揚げもそれなりにある漁師だった。
結婚話は母の親戚から持ち込まれた。登がホテルのフロントで働く康代を見染めて人を介したのだった。康代は、それほど豊かではない漁師の家に生まれ育ち、女ばかりの四人姉妹の三番目であった。
「嫁にくれと言われるうちが華さ。登なら水産高校も出た立派な漁師やないか。それに次男で嫁にいっても舅や姑の世話はないし気楽なもんや。不服を言ったら罰が当たる」
両親はそう言って娘の気持ちに頓着することなくトントンと話を進めてしまい康代に選択の余地はなかった。まるで厄介払いでもするかのような話の進め方をする両親に反発も感じたが、康代もこの話は嫌ではなかった。
康代は高校の時代から、登が漁から帰ったあと、船の手入れをしている姿を何度か見ていて顔を知っていた。漁具を担いで漁船から降りる登の二の腕には赤銅色の逞しい筋肉がつき、それが夕日を受けてさらに赤く染まる姿はこの上もなく魅力的だった。口など利いたことはなかったが、登の逞しい体つきを見る度に康代は未熟なりにも自分が女であることを強く意識させられたのだった。
康代は自分の勤めていた浜島のホテルで結婚式を挙げ、漁師の嫁としての生活を始めた。康代の実家も漁業であり生活のサイクルは結婚してからも似たようなもので戸惑いを感じることはなかった。それでも新婚当初は、自分は見初められて嫁いで来たとの意識が働きもっと親切に扱ってよと腹の立つことも多かったが、いつしか日々の生活に追われてそんな意識もどこかへ吹き飛んでしまった。