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内臓の神秘、その前に
次に、その脊髄神経を取り出し、輪切りにしてみる。自分の班のライヘのものは、太い所で大体直径が1cmぐらいであった。脊髄の背面の真ん中には、後正中溝と呼ばれる溝がある。また、断面を見ると、灰白質と白質に分かれている。よく小中学校の教科書に見受ける図だ。横長い脊髄の断面に対し、蝶が羽を広げたような形で灰白質が見え、その外側を白質が囲んでいる。灰白質の真ん中には中心管という部分がある。白質では前索、側索、後索、灰白質では前角、後角を見つけ、前根・後根との関係を見なさい、とテキストに書いてある。その関係は、テキストには何も示されていないので、自分で確かめよ、という事になるのだろうが、時間がないので生理学の教科書か、解剖図譜でも後で見る事にしよう。
意外にこういう所が試験で問われるのかもしれない。ふと、木本、楠田の班が目に入った。
楠田はこの間の組織学実習で、頻繁に手を止めてぼんやりしていることが多かった。僕の方が先にスケッチを終えて出たので、どうしたんだろうと思っていた。僕が楠田を眺めているのに気付いたのか、田上が言った。
「楠田のお父さん胃癌らしいよ。近々手術するらしい」
「医者だろうが、家族だろうが病気になるときはなる、ということだね」高久が付け足した。
「我々はまだ学生で医師ではないけどね」と高尾が素っ気なく言った。
次に胸壁に移る。遺体を再び仰臥位、すなわち仰向けにもどして、テキストで指定している外肋間筋、外肋間膜などを切断し、折り返す。眼前に太い、白い線が何本も等間隔に、平行に緩い曲線を描いているのが目に飛び込んでくる。それが剝き出しになった肋骨だった。肉屋であばらのむき出しの塊を見た時のような、寒々とした気持ちを思い出した。
外肋間筋、内肋間筋を観察する。肋骨と肋骨の間に、このような薄い筋が、層を成しているとは知らなかった。これらの筋肉は呼吸のときに重要な役割を果たしている。外肋間筋群は息を吸うとき、窓のブラインドのような具合に、肋骨群を上へ持ち上げて体積を増やし、内肋間筋群は息を吐くとき、その逆の動きをする。
肋骨下縁の直下には、肋間動脈・肋間静脈・肋間神経が3本並んで走っているのを確かめる。この事は重要で、胸水が溜まった時や肺生検のときの穿刺はこの事実によって肋骨の上縁から行う。筋肉をほじってゆくと、確かにこの3本が対になってあらわれる。
結合組織で結び付けられ、ピンセットでほじってゆくが固定によって脆くなった動脈は、気をつけないとすぐぼろぼろになる。静脈は動脈と異なり、血液がないとぺたんと潰れてしまうが、セロハンのように意外と丈夫だ。
神経は、木綿糸のように強い。僕は自分の肋骨、それも下縁のほうを意識した。これらは内肋間筋の裏を走っているのだ。