彼等がそれでいいというなら、私とてそれで構いません。それで私が損をするのでも、気分を害したり迷惑・被害を被るのでもありません。しかし、私が幹事ならそんな旅は計画しないし、金を払ってまで参加する気にはなりません。
普段と同じことをして満足なら、安くない金を出してわざわざ遠方まで行く必要も意味もない気がします。旅とは非日常ですから、普段なかなか入れない温泉に浸かることは、大歓迎だし重要な要素です。
こうしてみると、逆説的というのか、家に温泉が引かれているというのは、健康面では有効で精神衛生上も好もしいかもしれない反面、有難味という点では価値を下げているのかもしれません。
より意地悪く考えると、気分次第という側面を加味すれば、温泉の効能を多少なりとも軽減させている可能性だって否定できないとさえ思えてきます。
非日常の中で、朝風呂に浸かって、朝からビールを飲むのもいいでしょう。実際には大して美味いとは思いませんが、普段できないことをする、その意味ではそれもアリでしょう。味はともかくも、普段ではあり得ない怠惰な感じもいい。日常を脱し、適度にハメを外し、違う所や場面に手を出してみる。
旅とは、味見のようなものかもしれません。私の山歩きの回数は、約40年を経て通算750回に達しています。これが多いのか少ないのか、あるいは平均的なのか、それはわかりません。
ただいえるのは、新年会の幹事をして、苦労を重ね、それを続けたことが、登山の計画を練る上でも基礎になり、仮に失敗や落ち度があっても取り返せるような地力がついたように思えるのです。「継続は力なり」といいますが、ただ漫然と続けるのみではダメだと思います。
やはり、そこにはある程度の思慮というか洞察というか、そういうものがないと積み重なっていかない気がします。そしてそれが自分の血となり肉となった時、肩肘張らずに自分なりの旅作りができるのかも。
気張らず力まず気ままに、自分流を貫くのです。