施設の児童指導員の仕事に慣れてきた高弥さやは、母親の代わりを務めるように精一杯この二人にこまやかな愛情を注いで世話に当たった。
医療関係者にも協力してもらい、福祉上の法的手段も適用して、ねばり強く家庭内の虐待問題に対処した。
二人の女の子は最初から非常に接し方の困難な態度を見せていたが、やがて奇跡的に懐いてきた。根が素直なためか、あたかも神様から使命を授かった御方が親身になって救ってくださるかのように、幼い目に映ってきたらしかった。
二人の女の子たちは小中学校以降も、高校を卒業するまで、高弥さやの折々の熟慮した助言にささえられ、その都度の入念な援助の手に付き従うようにして、思春期を過ごした。
そうして恩師の訓育のもと、身も心も頼りにしながら邪念のない乙女のように育った。近瀬しおりは昼間のアルバイトにケーキ作りのできる喫茶店に勤めるようになった。
高弥さやは二人を連れて月夜に浜辺に出た日、十五夜の月の光を仰ぎ、日本舞踊にクラシックバレエの全身の躍動を思いのまま組み込んだような、のびやかな舞いを工夫して創り出して見せた。
成長した近瀬しおりと中松貴美江も心を引きつけられ、舞いを私に教えてください、私にも、とお願いした。それが月夜の舞いの集いのはじまりだった。
この三人で一年ほど浜辺の舞踊に磨きをかけていくうちに、別荘の建物も本殿のようにしつらえられた。畳の間に小作りの祭壇を設け、宝刀の懐剣を安置して御簾を下ろし、表の格子戸門に注連縄を張り、袴の舞い衣裳を調え、御神酒の酒を貯蔵した。
舞姫の女性たちはこの約一年後から集まりはじめ、その後二年の間に五人まで揃った。
歩いて行ける離れた私有地の方の、もう一棟の別荘に、舞姫たちは月夜の集いの前後に着替えに寄り、夜明けまで寝床で休むことになっていた。