それを聞いて思わず僕は感傷的な気分になった。これから乗り越えてゆかねばならぬ、幾山川。その向こうに待っている未知の世界。それは輝かしいもののはずだが、実際はどうかわからない。不安と期待という落差に揺れ動く自分だった。

我に返ってふと、他の3人を観察すると、それぞれ、考える所があるらしかった。それぞれ何かのクラブ活動に所属して先輩たちから、いろいろ有益な情報をもらっているようだったが、僕はどこにも所属してないので、情報が皆無だった。

この情報というのは、去年骨学の試験に一度落ちた経験から思うと、非常に重要で、これが試験の合否をわける場合もしばしばだと思う。

何人もが先輩からもらった過去問のコピーを持っていたが、自分から積極的に働きかけないと、入手出来ないこともあった。僕のように孤立したものは、過去問の存在すら知らないまま試験を終えることもあった。

試験対策委員もいるにはいたが、彼らも自分のことで忙しいのだし、頼り切るわけにもいかなかった。しっかり勉強すればいいだろう、というのは正論だが、それは時間と労力を大幅に節約できる、便利な道具を拒否する事に等しい。

何しろ、医学部生といっても、医師国家試験に、あるいはその前の複数の試験に通らなければ、ただの人だ。

事実、ふと気づくと、入学時には確かにいたのに、このごろ全く見かけない同級生も何人かいる。

彼等は元気で生きているだろうか、人間の屍体を扱っているためか、このごろふとこんな気分になる。