新会社の上野食品の株主は、私と社員を含め四名で資本金は三千万円。その中で長く勤務している女子社員一名に一般株主として五十万円出資してもらい、二名の男子社員は重役にしてそれぞれ百五十万円出資してもらった。私と社員だけの会社にして、妻も上野ビルディングも株主に入れなかった。完全に資本と経営の分離を敢行したのである。

社員、得意先、仕入先、在庫、流動資金などは新会社の上野食品に移した。その代わり土地、建物は上野ビルディングから賃借した。一方、上野ビルディングは八億円の借金で土地、建物を所有、管理して賃貸業を行った。

そして新会社となった上野食品は月次決算を社員に見せて検討会を開いた。開かれた経営に特化した借金ゼロ、新会社・上野食品の登場である。これは画期的なことで、「経営の見える化」は社員の経営参加を促し、月を経るごとにモラルが向上し、社員の定着率が非常に良くなった。決算書を毎月、全社員に見せて説明会を開いたので、身内にありがちな公私混同ができないのである。私自身も隠さず堂々と仕事ができて気が楽になった。なぜなら、全員経営は社長のみならず社員が経営責任の一端を負うことになるからである。

ほとんどの中小企業経営者の場合、このやり方には勇気がいる。なぜなら給料や交際費の総額を見せたら身内の待遇の差で社員の中から不満が出兼ねないからである。それでも会社の私物化を避ける方策をとらないと、社員のやる気をなくし、優秀な人材は去って真の会社の発展はないと私は思っている。

実は経営と資産を分離して、会社を設立するやり方は良い面もある反面、弱点があった。上野ビルディングは不動産管理会社なので、戸越ビルはテナントに賃貸し、千鳥町ビルは一階、二階を上野食品に、三階から五階は住居として賃貸しているが、その家賃を原資にして銀行から膨大な借金をしていたのである。したがって、万が一空室が多く出たり、上野食品の業績が悪くなったりして家賃収入が滞ったら、両者共倒れになる危険があった。

上野ビルディングが利息を含めて九億円近く返済することは、バブル真っ最中の当時、余り心配しなかった。しかし、その後バブルの崩壊が始まり、後に地獄をさまようことになったのである。