「そんなこと……それは、お義母様の実家が普通の公務員の家で、出戻っても居場所がないから、泣く泣く夫の浮気を我慢したってことなのですよね」
「何を、失礼な人ね。ここで私の実家の悪口を言うとは。お仲人さんの顔を立てたばかりに、真一とあなたなんかを結婚させたのが間違いだった。開業医の妻になれて贅沢三昧できる幸運を手に入れたのだから、夫の浮気の一つや二つ、見て見ぬ振りしてもバチ当たらないんじゃない? あなただってお父様は医者とはいえ勤務医だから、出戻っても迷惑がられるだけなんじゃないの?」
メンツを傷つけられた祖母はもう怒鳴りどおしだ。
「いいえ、私はいつでも名古屋の実家に戻れます。それでもこうして我慢しているのは、哲也の受験のためです。小学校受験の面接で、両親が離婚していると不利になるって聞いていますので」
祖母も負けてはいない。ますます母の癇に障ることを言ってくる。
「そんなことはないわ。理事長とは真一が在学していたときからの顔見知りだから、コネを使えばイイんだし、あなたがいなくなったところで何の問題もないわよ。母親代わりはまりえに任せれば、哲也はきっと立派な医者になれるわ。受験の面接も真一がまりえと出れば済む話じゃないの」
「何言っているんですか。まりえさんは哲也のこと、よく知らないじゃないですか」
この辺りから、母は泣き声になる。
「それは大丈夫。面接の受け答えは真一に任せればイイのよ。だから、あなたはもう我が家に必要ない人ってこと。出て行きなさい!」
「イヤです。どうしてもと言うのなら、哲也を連れて行きます」
「それはダメ! 哲也は我が家の大事な跡取りよ」
「イヤです!」
堂々巡りのやりとりは、いつもだいたい十五分で不意に幕切れとなる。自身の主張が通らないもどかしさから憤懣やるかたなくなった母がソファーに泣き崩れると、祖母の方は、「このわからず屋!」と捨て台詞を吐いて三階に引き上げていくのがおきまりのパターンだった。
その間、決まって私は隣のダイニングルームの椅子に座って聞き耳を立てていた。今思えば、そんな嫁姑の喧嘩なぞ聞かずに自分の部屋に逃げて、テレビやビデオでも見て遊んでいればよかったものなのに、どうしてもその場から離れることができなかった。
言い争いの端々には私の名前が出てきたし、母は父のみならず祖母にまで家を出て行けと再三言われている。もし本当に母が私を置いて家を出て行ってしまったら、僕はどうすればいいんだ。こんなこと夢であって欲しい――。不安ばかりが膨らんできて胸が張り裂けそうになるのを堪えながら、祈るような気持ちで嵐が過ぎ去るのをじっと身を縮こませて待っていたものである。