例えば登山で、計画を練り始めた時点から始まり、それは下山した時点で終わりではありません。仮に駅や空港まで戻り、土産を買っている間も旅の一部です。土産を買う時点で旅情が冷めていては、それこそ興醒めなのです。いい旅、いい土産というのは、何時までも余韻の残る旅であり、土産です。誰それに何を買わねばいけない、休暇を取った、何処かにでかけたがために後ろめたくなったり気を使ったりするような旅や土産は、本当の旅や土産とは、私なら評価しません。
最近では、山の湧水や流水を水筒に詰めて持ち帰ることが少なくありません。水筒が大きくなればなるほど重くて大変といえばそうなのですが、水はタダだし、私にとっては最高の土産物のひとつです。それを氷にし水割り用に使い、酒を飲みつつ山旅の余韻に浸るのです。美味いかどうかなんて、私の舌はそんなに肥えてはいませんが、「湧き水を汲んできたから、帰ったら1杯やろう」下山してきた駅でそう友人に電話したこともあります。酒でなくても、コーヒーやお茶、あるいは米を炊くなど料理に使うのもアリでしょう。
要は、事後までその旅を愉しめれば、それに越したことはないわけです。その全てが旅なのです。少なくとも、私にとっては。
いい土産とそうでもない土産、その境界線はないかもしれないし、基準だってありません。ただ、短くない年月と少なくない経験が、土産を吟味する目や精神を培ってきたかもしれない、そう思うこの頃です。
いい土産とそうでないそれとの明確な差異は、ないかもしれません。その定義や基準がない以上、だからこそ自分自身で思慮し、見極めていくべきなのかもしれません。
私にとっての1番の土産は――いくら下手で、作品としての価値は低くても――自分で撮った写真であり、その中にある風景や想い出です。