人はなぜ迷うのだろう? 迷い道の構造は、人間の迷いよりずっと簡単だ。人は「迷い道を選ばざるを得ない」ように創られている。迷い道は迷っている状態で「間違った道」とは異なる。
人生そのものが迷路になっている。スタートからゴールまでゲームのように、迷路を通り抜けなければならない。勘の働く人でもストレートには行けない。
しかし、この迷路は人に親切設計になっている。迷い道を突き進んでも、結局は皆一緒のゴールにたどり着ける、人生の迷い道だ。
迷っている間は心が揺れて苦しいが、揺れが止まれば、ゴールに一歩一歩着実に近づける、人生の迷い道だ。物には道理があり、迷い道にも訳がある。
人は迷い道を通り抜けると、誰でもそれを感じることができる。迷い道を抜けた人だけが感じる喜びを。目の前に、ひらけた大きな道が一本あることを。その感覚を得るためだけの迷い道だ。
「複雑なように見えて実は簡単だった」と、後から知るようにできている人生の迷い道。この単純さは後になって、初めて感じられる単純さである。