テレビ宣伝している商品はバイヤーも扱わざるを得ない場合が多いが、名前も知られていないローカル商品はバイヤーの気持ち次第で扱いが決まるので、腕の良いセールスでないと難しかった。したがって、私はいつも前線で孤軍奮闘せざるを得なかった。今は社内規則が厳しくなっているが、当時はバイヤーの接待も効果が大きかった。

石油パニックは一九七三年から一九七六年まで続いたが、やがて石油も順調に供給されるようになるとパニックは収まり、食品も潤沢に出回るようになった。逆に、その反動で供給過剰気味になり、食品業界は売上げ不振が続いた。

当社の販売も二年間は順調で売上げが大幅に伸びたが、テレビ宣伝している有名ブランド品が大量に供給可能になると、ローカルブランドの当社商品は片隅に置かれ、受注が目に見えて減っていった。やはりテレビ宣伝している商品はスーパーの店頭では強い。ここでまたしても壁にぶつかり、せっかく築いた大手問屋、大手スーパーの流通ルートを活用できず、ジリ貧状態が続いた。