ぼくも、よく覚えているよ。命の恩人だもの。
「へー、そぎゃんこつがあったつね(そんなことがあったのですか)。おったちゃ(私たちは)、公民館に避難しとったけん、いっちょん(ひとつも)わからんかった。こん(この)子にかわってお礼ば言わないかんね」
おじちゃんも、おばちゃんも、ふかぶかと頭をさげていた。
「たいしたこつはしとらん。ばってん福岡に嫁いどる娘があたしば迎えにきてくれて、一時避難しとったと。だけん4日目にこん(この)子に、にぎり飯ばやれんごつなって。あれからどうしたやろうかねぇと心配しとったったい。なんちゅうてん(なんといっても)生まれ育ったふるさとが一番よかたいね。幸い家は補修ばして住めるごとなったけん、こうしてもどってこれたと」
「おったち(私たち)も、これから、もとの場所で、パン屋ば再建する計画ですたい。新しゅうなったら、店の看板は、こん(この)子の名前ばとって“ポロンのパン屋”にしょうつ思うとります」
「このポロンちゃんなら、きっと招き猫になってくれるたい」
あれから、もう4年になる。おじちゃんも、おばちゃんも、仮設のパン屋でがんばっている。ぼくも毎日「ミャーオ」と言いって、お客さんにすり寄るのが日課だ。
今朝も、できそこないのメロンパンのかけらが、キャットフードの中に入っていた。おじちゃんも、おばちゃんも、それにぼくも、こんなにがんばっているから、早く前のようなパン屋ができるといいなぁ。このごろは、おじちゃんの歌の中に、ぼくの名前が入っているんだ。
“ポロンのパン屋”は 世界一たい
ふたりの手づくりで できとるけん
“ポロンのパン屋”は ロマン入りばい
楽しゅうて パンば つくっとるけん
パン パン パン ハイできたばい
今日もまた、“ポロンのパン屋”のかけがえのない一日がはじまっている。