溶接機は借りることができましたが、溶接棒や目を保護するための遮光面などは何もありませんでした。中津の溶材店(溶接材料を売る店)に行き、溶接棒を買うのに、普通は一箱三十キロ単位で買うのですが、「五キロください」と言って買っていました。
また、電気溶接用の遮光メガネは強い閃光を保護するようにできていますが、ガス溶接用のメガネは遮光度が薄いのです。うちの工場にはガス溶接のメガネしかありませんでしたので、それに、サロンパスの青いセロファン紙をかぶせてみました。そうすると、遮光が濃くなるのです。
「これならいい」と思い、それで電気溶接を行いました。ところが顔を保護していないために、電気のアーク(放電による強い閃光)で顔を焼いてしまい、メガネをかけた目の周りだけが白く、顔全体が真っ赤に焼けただれてしまいました。まるでメガネザルのようでした。
夏の海で日焼けをして皮がむけるよりも、電気溶接の閃光で焼いた皮膚のただれはもっと激しいのです。しばらくは顔の皮膚が剝けて人前には出られない状態でした。
当時、弟も工業高校を卒業し就職していましたが、少しずつ仕事の量も増えてきましたので、家に帰って手伝うよう説得しました。本人も仕方なく私と一緒に仕事をするようになりました。
弟は旋盤や溶接などの技術の習得が早く、親父譲りなのか、すぐに戦力となってくれました。先の見えない鉄工所の仕事のためによく帰ってきてくれたと弟には感謝しています。