【前回記事を読む】ホテルに入った途端「もう終わりにしたいの、この関係」と言うセフレ…だから腕を取ってベッドに引き込んだ。組み敷いて…
「冬隣」
目的の駅に降り立った時、まだ昼を過ぎたばかりだった。紫は新鮮な空気を吸い込むと眩しく辺りを見渡した。新幹線から解放されて初めて見る光景に、ようやく知らない土地に来た、と休暇を実感していた。
時間はたっぷりあるんだ。なんせあのパワハラだらけの職場とはもう縁を切ったのだから。今は有休消化中、初めての仙台は、横浜とは比べ物にならないくらい涼しい。まだ十月に入ったばかりだというのに、セーターを持ってきて良かったと安堵した。
紫はトランクとショルダーバッグを持ち直すとバス停へ向かった。タクシーでホテルへ行きたいところではあるが、転職先はまだ決まっていない。せっかくの東北旅行、ケチケチする気はないが贅沢もできない。
ホテルで荷物を解くと街へ出かけた。明日はお決まり観光コース、松島に行こう。今日は瑞鳳殿だ。
ぶらぶらと散策してからゆったりとした午後を過ごした。マッサージを受け、夕飯を食べてからホテルへ戻り、大浴場ですっかりリラックスした紫は時計を確認した。夜九時過ぎ……。こんな時間に初めての場所で浴衣でのんびりしている自分が不思議だった。
こまねずみのように毎日ヘトヘトに働いていたのは、つい三日前までのことだった。今日の足の疲れは観光によるもので、仕事ではない。
しかし私の籍はまだあの会社にある。有休消化中だからまだ切れていないのだ。そう思うと、いつ携帯が鳴るか、と嫌な気持ちになる。もちろん鳴るはずもない。分かっている。ついため息が出る。
こんな気持ちもあと三週間のことだ。そう頭では分かっていても、何故か職場のことばかり考えてしまう。仕事が嫌だったわけではない、人が嫌だったから。
「やれやれ」。紫は部屋に帰るとベッドに横たわった。アパートのベッドと違ってふかふかだ。やっとの思いで辞めたのだから、もっと楽しいことを考えたかった。でもしばらくは仕方ない。何せ丸七年の間、仕事ひと筋だったのだから。