柊は社屋の裏手にある社員用駐車場の一角に、中古で買った10万kmを軽く超えた自称小回りの利く小ベンツこと、スズキ・ラパンを停めた。隣接する物流棟の搬入口にはトラックが並び、社員たちが機材を積み込んでいるのが見える。柊はそれを一瞥(いちべつ)すると受付のほうへと向かった。自動ドアが開き、広い吹き抜けのロビーに足を踏み入れる。磨き上げら
れた白い床、観葉植物、壁面に飾られた絵画。建物自体は20年近く経(た)っているはずなのに、港区隈界(かいわい)のオフィスビルとなんら変わらないほど内装だけは輝いている。柊は表面だけ取り繕っているような印象をここに来るたびに感じていた。
受付カウンターで来客の応対をしている女性社員を尻目に、入館ゲートへと向かう。顔なじみの警備員の会釈に軽く手を上げて応え、柊はIDカードをかざしてゲートを抜けた。
エレベーターを待ちながら、柊は総務部長の川本がわざわざ自分を呼び出した理由を考える。
――副社長・加納尚人 急逝。
加納の死は、社内でも一切話題にはならず、ただひと言、幹部層への一斉送信メールだけだったという。加納の社内外におけるすべてを見てきた柊には、この扱いがどうしても看過できなかった。まるで、最初から加納などいなかったかのような、この無言の切り捨て方に、何か裏があるとしか思えなかったのである。
7階の総務部応接に通された柊は、ソファに腰かけ、川本を待っていた。総務部の女性社員がテーブルにお茶を置く。その指先が、ふと視界に入った。
爪先は控えめなピンクで彩られ、薬指だけ紫色で数字の6と書かれている。何かこだわりがあるのだろうかと柊は訝(いぶか)しんだ。そんな柊に対して女性社員は声をかける。
「あの……何か」
「いや、なんで6なの?」
「……推しの背番号です。ネイルをチェンジしても薬指の『6』は絶対なんです」
女性社員はそう言って、少し照れたように笑った。首から提げたネームプレートには「三宅」と書かれていた。
「なるほどね。推しか…‥。そういう応援もあるんだね」
陸上の練習で日焼けし、真っ黒になっていた娘は、普段はまったく化粧っ気がなかった。それでも大会前になると、国旗を入れたりキャラクターを描いたりして、爪だけはきれいに整えていたことを柊はふと思い出した。
次回更新は4月28日(火)、8時の予定です。
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