これに関して、多くの人は、このような法則が存在することに気づいたことも、考えたこともないのではないかと思われる。また、「もし本当にそのような法則が現実に存在するのであれば、小中学校の義務教育でしっかり教えてくれればよいのに!」と思う人も多くいるであろう。

本書においては、良くも悪くも、「心の姿勢」(posture of mind)が人生のすべてを支配し、造り出している(「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」)、という立場を採用している。この場合、幸せな人生を送るための正しい心の姿勢を示すものが心の法則である。

つまり、「心の法則」とは、人生において生じるすべての現象の背後に存在している精神的な法則ないし真理のことである。これは目には見えないけれども、また自覚すると否とにかかわらず、確かに現実に存在し、人生において働いているものである(※注)。

(※注)なお、目に見えないものは信じられないと思う人は、人間には心も感情もない、というのと同様なものであり、その存在自体に気づいていないだけである。例えば、稲盛和夫の著書の中で、「あらゆるもの-心にも、経営にも、人生にも、法則があります」(稲盛和夫[2014]前掲書、1頁)と述べている。さらに、松下幸之助も「物的法則」の他に、「心的法則」がある(153頁)と述べている。

このような心の法則に気づくためには、一般に深い瞑想(めいそう)などを行うことが大切である。また、ここで非常に重要なことは、これは、不変の法則なので、普遍性があり、真理である。それゆえ、どのような民族にも、どのような宗教にも、どのような時代にも、また老若男女の別なく、共通的に適用されるという性質のものである、ということである。

言い換えれば、法則なので、そこには人間的な同情や事情の配慮は一切なされない、という厳格な側面もあることを意味している。それゆえ、法則に正しく従い、それと調和して生きることこそが、幸せな人生を送るためには、如何なることよりも大切なことである。

すなわち、このような根本原理としての法則に調和して生きれば、長期的な人生において幸せになれるし、成功もするけれども、反対にそれに従わず、それと調和を保つのでなければ、一時的には幸せや成功はするかもしれないけれども、長期的で持続的・安定的には幸せにも、成功もしないという性質のものである。