助けてもらうことは恥ではない、私のためにいただいた相手の人生時間に感謝

どんなにジタバタして他者の意見を聞いたところで、右に行く私を左には向かわせてはくれない。最後に決めるのは私。あくまでも助言を聞いて再確認するために相談をする。それこそ時間を止めて欲しいからかもしれないし、理解して欲しいからかもしれない。

わからなくなる前に話を聞いてもらいたいと思った時だけだ。どんなに真剣に助言してもらおうが、コレと決めた結論が変わることはない。聞いたところで本心は変わらない。今一度相談した時のことを振り返ってみた。

言われたい言葉は相談するときにはもうあるだろう。慰めなのか、賛同なのか。結果どうしたいか、どうなりたいかは初めから心は決めていないだろうか。

私はそうだった。前に進む時に私の決めた結論は妥当かと、意見を聞くために相談していた。これでいいのかを一緒に考えてほしい親、兄弟、友人、愛する人。けれど、助言をいただいて変わったことはあまりなかった。

しかし相手から時間をいただいた事実には感謝してもしきれない。周りの友人に打ち明けて気持ちが昴って泣いてと、どれだけ伝えられただろう。友人にも迷惑がかかると感じた時からひとりで結果発表していた気がする。

決めたことが妥当か間違えているかの確認作業まではひとりでしっかりと、振り返りながらしていたような気がする。相談相手への責任転嫁はしないこと。相手のせいじゃない、相手も吉と出るようにと最善を尽くしてくれたのではないだろうか。

そう考えると本当に相手から時間をいただいたことへの感謝が尽きない。ありがとうの一言だ。背中を押してくれた相手のためにも、しっかりと前を向くこと。敬意を表す姿勢は大切だ。