第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

報道と表現

敗戦後の日本人はカタカナや横文字に頭が上がらなくなったようである。人を騙すにはこれに限る。

NHKが日本放送協会とすぐに判る人も今や希少種、最近ではIR法案がその最たるものであろう。カジノ法案と言うと反対する人がかなり増えるための誤魔化しか。

カジノを中心としたリゾート法案で、政府がこれを推進しようと躍起になっている。パチンコによるギャンブル依存症で多くの人や家庭が苦しんでいるのに更に大きなギャンブルを始めようというのである。

IR法は特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律の略であるが、本当はカジノ法という方が判りやすい。判れば困るのでわざと難しくしている様に小生には思われる。公約は守らなければならないがマニフェストならどうでもいいのかと。

公聴会はちゃんとするがヒアリングは聞き流すことが多く、質問も出来ず役所当局の話を聴くだけ。自分の意見を聴いてくれないのであれば本末転倒である。

大先輩のお年寄り達には戦勝国への英語コンプレックスもあり原爆2つで大和魂も吹っ飛んでしまったかの感すらある。さすがに皇族のお言葉に横文字は少なく、雅びた倭言葉にホッとする。

令和も進むと覇権成就で省略漢字全盛に置き換わる予感すら抱いてしまう。トランプ氏はそれを怖れて中国バッシングを強めているのであろう。

少し脱線するが、医師として気になる表現がメディアに多い。“心肺停止状態”である。医師の死亡診断書が出るまでの状態のことであろうが生き返った人はいない筈である。

“危篤〟は超重症で意識不明の状態だが蘇生の可能性もある。“略死、概死”は死を軽々しく扱っている感じもするのでここは“推測死亡、死亡推測の状態”と言うのが判りやすいのではと考えている。小学生の子供から心肺停止を「心配(し んぱい)停止でもう心配しても生き返らないのでしょう」と言われた経験も踏まえてのことである。

川の日を作ろう!!

令和元年の9月15日(日曜日)は老人福祉法で定めた「老人の日」、翌9月16日(月曜日)は国民の祝日である「敬老の日」。何か奇しいと感じるのは後期高齢者の私だけか?

「ま、三連休になるからいいか。でもこれだけ休みが多ければ病院の赤字がまた増えるだろうな」とか思いは複雑。「海の日」の後に「山の日」が祝日となった。海彦、山彦とこれで互角。

しかし何か忘れていませんか? 川です、川なんです。幼少期を吉野川で泳ぎ鮎をしゃくり、高校は園瀬川の畔で学び、大学は瀬田川でボートを漕ぎ、今は鴨川の傍に住んでいる私である。自動車がない頃は輸送の中心的存在で海の漁が盛んになるまでは川の魚・貝が日本人の蛋白源の横綱として。

また水田の稲作には命綱、水車を動かす動力源。炊事や洗濯、究極は飲料水として生命の母であろう。川霧は茶畑や桑畑を潤し、河岸段丘や支流の扇状地での作物の大切な源でもある。

本当は海・山・川と同時に祝日にすべきであった。「山」と「川」は忠臣蔵の討ち入りの合言葉であった。20年余前の赤穂市民病院の移転先を選ぶ際、山際か川辺かで議論したことを思い出す。

当時、ある市会議員から忠臣蔵では「山」と「川」は味方の合図、余り争うなと。結果は川の畔に。何はともあれ川をなるべく早く祝日にと願っている。ここ数年の河川の氾濫は「早くしろ」との天の声かも知れないと最近思い始めた。