3カ月越しに家族5人での再会

桜の季節になり病院の廊下の窓から桜が見えた時、早く家に帰りたい、子供たちに会いたい、家族で一緒に桜を見たい、お花見やバーベキューをしたいなど色々な思いが一気に込み上げてきました。

字を書くのも好きだったので、ベルトを巻いてボールペンを持てるようにしてもらい、字を書く練習をしました。家族の名前を漢字で書いたり、歌詞を書いたりしているうちに、また字が書けるようになった事が嬉しくて、家族全員の名前を初めて書いた紙を面会に来てくれた時に見せると、家族みんなで大喜びでした。

夫が「事故前と字の書き方もそんなに変わらないね」と言ってくれたので、「そう言われてみればそうかもね」と笑いました。

EICUで治療を受けていた時は、室内に子供が入れなかった為に子供たちにも会えない日々が約3カ月ほど続いていましたが、私の意識がない間も毎日仕事が終わってから1日も欠かさず夫が様子を見に来てくれていたと看護師さんから聞くと、これまた号泣……。本当は私よりも夫が一番ショックだっただろうなと思うと辛かったです。

EICUからHCU(高度治療室)に移れた時に、娘だけ特別に入れることになり先に会ったのですが、私を見ては「怖い怖い」「ママ嫌」と言って、夫にしがみついて離れなかったあの光景が今でも忘れられません。

「私がこの子のママなのに……」とすっごくショックすぎて、何も話せなくなりました。

2歳になったばかりだったのでそりゃ怖いよねとか、事故前のママの姿なんて覚えてないかとか、色んな思いが込み上げてきてただただ泣いてばかりいた私に、夫は「話しかけてあげてよ」と常に言っていました。

涙をこぼし続ける私を見て、夫が「何回か会ううちに慣れてくるよ、だからいっぱい話しかけたら」と最大限の励ましの言葉をくれました。

娘は事故に遭った記憶がなさそうだったので、トラウマもなくて本当に良かったです。

子供たち3人揃って会えたのは一般病棟に移って少ししてからでした。

やっと会えた喜びと、変わり果てた姿になってしまったこと、そして急にいなくなってごめんねという思いで、最初はみんなで大号泣……。

家から病院が遠かったので頻繁には来られなかったのですが、病院関係者さんの配慮で、夜遅くでも夫が子供たちを連れて来られるようにしていただけたことは凄く嬉しく、感謝しています。

1回会えたら何度か来てくれるようになり、会えるのが楽しみでリハビリも頑張れました。

学校での出来事や友達の話をしてくれたり、お菓子を一緒に食べたりとホントに少しの時間でも幸せでした。

ただ、家族が帰ってしまい一人の時間になると一気に不安になり、泣いていたこともありました。