外を歩いていても家の中にいても、
どこからか甘く香る9月のキンモクセイ。
70歳に大手をかけた母・美春との箱根旅行から自宅に帰った美恵は、
背中を丸めて窓を全開にする。
ふわっと涼しいキンモクセイの夜風が顔中を包み込む。
―芳香剤がいらないな―
そんな貧乏くさいことを考えながら、よっこいしょ。
フラットにした座椅子に、ドスンとテディベアのように腰を落とし足を投げ出した。
「はぁ……ただいま……。」
疲れ切ったカスカスの声にアホ面を呆けて、
一人暮らしの部屋でボソッとため息交じりに呟く。
暖色に下げたオレンジの照明は、小さな暖炉のように心をホッと灯した。
箱根の温泉は良かった。とてもスッキリして気持ち良かった。
だけど、思い出すのは母との会話ばかり。
母と話すと、まるでデジャブ。
たった今話したことを忘れて、また繰り返すのだから。
「箱根、何時に出る?」
「9時頃迎えに行くね。」
この会話を同じ電話で3回したので、メールを送って文字で残した。
また繰り返したら「メール見て。」と言うために。
「だから今言ったよね!?」
と繰り返し苛立つ自分もボケたように感じてイヤだった。