私が絶望から抜け出さずに悲観的になっていたら良かったのかと、考えさせられる時も未だにある。それでも、我が子のために目の前にある過去を背負って重たい荷物を抱えたり担いだりしている毎日に順応しながら一歩ずつ前に出してきた足。

どんな苦難を背負った人間も前を向いて生きていい。誰かが私のことを悲観的な姿で楽しんでることに嫌悪の態度を示したとしても、土俵には立たなくてもいい。私の足跡をつけて後ろには子どもを歩かせている。

人は人であるから見比べない。そして上向きな感情でたくさん笑っている姿を見てくれていることへの感謝をしながら、私が決めた責務を果たしていこう。

比べる暇なんてまったくない。羨まれる存在でもない憧れる人々に必死で食らいついていくことで日常に溶け込みながら余計な心配もせず、一日一日にありがたみを感じられるようにしていこうと。

だから私も相手の弱点、不得意ばかり見ようとするより、今すべきことは、相手より自分を正すこと。得何か不得意でも挑戦しないまま、してもないのに諦めることがどれだけもったいないことかと意識した。比べる暇があるなら挑戦することにした。

安全にいつも無難に生きてきてしまうと、いざって時に思い切ることはできない。毎回体当たりしていると、疲れるけれど、立ち向かう最後の勇気、やるかやらないかを決めるのは私だから。はじめから「絶対に無理」の『絶対』はない。私の奥にある情熱を信じて。