創業を心に決めたきっかけ

酒井社長の三つの方針

1994年秋頃、当時住んでいた福井市毛矢町にある総合商社・轟産業株式会社の酒井貞美社長と知り会いました。酒井社長は1945年9月、福井高等工業学校(今の福井大学)を卒業しましたが、勤労動員と福井の空襲でほとんど勉強できなかったとおっしゃっていました。

そして、卒業しても戦後すぐで安定した就職先はなかったので、実家の杉の大木を3本切って売り、1948年3月、思い切って創業されたそうです。人脈も資金もなかったとおっしゃいました。

酒井社長は読書やご自分の経験からオリジナルな考え方(哲学)を持っておられます。下記の三つの方針を立てていろいろな苦労をされ、会社を大きくしました。

1.人のやらない仕事、嫌がる仕事をすること

2.独自の商品を扱うこと

3.小さくても金額の高い商品を扱うこと

つまり、すき間で勝負しようと決意されました。

お話によると、会社を作ったばかりの1948年6月28日に福井大地震に遭遇されて、大野から福井に帰る途中に乗った電車は転倒して歩いて帰ったということです。このような大変なときでも積極的にすき間の商機を探しました。

地震後、福井駅あたりの街に行ったとき、ビルから落ちたガラスを見て、戦後品物が極端に足りなかった時代ですから、すぐヒントがありました。20日間毎日街へ出掛け、血だらけの両手で粉砕したガラス屑を袋に入れて100俵ほど集めました。これに他の人が気が付いて集めようとしたときには、もうかなり少なくなっていたということです。

このガラス屑を金沢のガラス工場に運んで約28万円で売りましたが、お金より商品の方が価値があると思って、ガラス瓶に交換すると、そのガラス瓶は飛ぶように売れたということです。これはまさにすき間商売の精髄で、私は大変感動しました。