第1部 捕獲具開発
2章 開発に至った経緯とその目的
私は昭和52年に大阪にある衛生害虫を駆除する会社に入社し、しばらくしてネズミ担当になった。本業は白蟻の駆除と防除なのだが、シロアリ以外の動物にも必要に応じて対応する必要があり、ある日上司からネズミをやってみないかと言われてネズミ担当になったのだ。
その頃、大阪では既にクマネズミのスーパーラットが登場していて、当時盛んに使用されていたクマリン系の殺鼠剤は全く効かなくなっていた。仕事で毒餌をまぶしたヒマワリの種を1カ月間大量に食べさせても効果がなく、結果として私は定期的に餌を運んでくれる優しい餌やり兄さんに過ぎないのではないかと思った。それ以来クマネズミに対して毒餌は使っていない。
薬剤に対する抵抗性を持ったクマネズミをスーパーラットと呼ぶが、これは四国松山の繁華街でも出現し始めている。新しい薬剤が開発されたとしても、その都度さらにパワーアップしたスーパーラットが出現するのなら薬剤を開発しない方がましである。その時は既に登場していた粘着シートを使用した。面白いように捕獲できたのだが、それでも全滅させることはできなかった。
30年ほど前のある時、駆除の依頼を受けて、5階建ての大きい飲食店で粘着シートを使ってクマネズミを捕獲することになった。粘着シート200枚を用意し地下の厨房から設置を始めた。設置している間にも、あちこちでバタバタ、チュウチュウと言う音が聞こえ、設置し終えるまでに5~6匹捕獲できて、翌日の早朝には45匹ぐらい捕獲できた。一体何匹のネズミが生息しているのか恐ろしくなるほどの成果である。こんなに沢山のネズミが生息している状況を実感したのは初めてだったので正直驚いたのだが、逆に、こんなに沢山のクマネズミが生息しているのに捕獲具で捕まえられないことの不思議さも実感した。
ネズミたちは、店が閉まり電気が消えるのを待ちかねて競うように次々と地下の厨房に降りてきているようだった。待ちきれないネズミたちが喧嘩まで始めている様子が鳴き声から感じ取ることができた。ネズミの生息数は食料に制限されるため、かなりの数のネズミたちを養うだけの豊富な食料が地下の厨房に常備されているということになる。ネズミたちにとって天国だ。翌日使うために用意された調理台の上にあるザルの中の洗い米に早速手を出している奴もいる。
ネズミに食べられていることが分かっているはずなのに、現場で働く作業員は問題にすらしないようだ。ネズミたちの食べ残しが食材として使われているのだから不衛生極まりない。使う前にもう一度洗えばよいとでも考えているのだろうか。昔の話だと思われるかもしれないが、今でもビル街にはクマネズミが多く生息している。
職業柄ネズミの匂いには敏感で、数年前に一度名古屋の食堂で、店に入るなりネズミの匂いが充満していることに気がついた。閉口したが他の客は気が付いていない様子で、楽しそうに食事に夢中になっている。私はさっさと店を出たかったのだがそうもいかず、落ち着かない気分で周りを気にしながら、揚げ物は大丈夫だろうと名古屋名物のエビフライ定食を食べたことを今でも鮮明に覚えている。人々が気付かないだけで、今もクマネズミは健在だ。
最初の駆除作業から1週間後、再度粘着シートを設置すると今度は15匹程度捕獲できた。3週目にはそれほど捕獲できず、まだ残っていると思われたが、設置と回収の労力に見合う結果が期待できないと考えてそこで捕獲作業を中止した。案の定数カ月後には元の数に戻ってしまったため、すべてを捕獲できなかったことになり、結果として駆除に失敗したことになる。ネズミの数を減らすだけで完全に駆除することができないのであれば、お客様のニーズに応えることはできない。クレームだけが残るケースが多くなった。
不衛生極まりない現状を最も良く知っている立場にいるのだが、画期的な駆除方法も現れないため、都市部におけるクマネズミの駆除は進んで引き受けたくない仕事になったわけである。
私が捕獲困難なクマネズミの捕獲具を開発しようと思い立ったのは、平成16年に在職していた会社の代表取締役に就任した後だった。白蟻に関する仕事が先行き減少するであろうことは十分予想されていたため、ネズミの駆除を生業としている多くの業者、あるいは多くの一般の消費者が渇望しているクマネズミの捕獲具を他に先駆けて提供することができれば、大いに儲けることができるだろうと、浅はかだが、夢のある目的を持って仕掛けのアイデアを練ることから始めた。
それから10年間かけて捻り出した数々のアイデアは、販売目的で権利化できることを第一に考えていたので、試作して使ってみる度に特許の出願を行った。専売特許の権利を手にするには実用新案ではなく特許の方が重要であって、過去に類似した出願があれば特許としての権利が認められない。そのため、あまりにも単純な仕掛けでは特許になり得ず、少し複雑な独自のアイデアが必要とされた。
今までに私は国内の特許を3つ、アメリカでの特許を1つ取得したが、商品として流通しなければ役に立たない。無駄な投資になりかねないので、私個人の道楽か、あるいは趣味の扱いとして、開発にかかる費用は私個人の負担とした。道楽にかける費用としては馬鹿にならない金額になってしまったが、こんなに面白いことを途中でやめる気にはならない。従って、取得した特許は私個人の登録になっている。個人で特許を3つ持っている人はそう多くいないだろう。密かな私の自慢であり勲章である。
出願した内容は公開されていて、見ようと思えば誰でもその内容を読むことができるのだが、私でさえ読みづらい文章になっている。仕掛けの構造は私の文章と写真で想像してもらうしかない。立体図形が苦手な人は、実物を見せて説明しても使用方法すら理解しにくいらしい。